2009年6月25日 (木)

公式ブログ移転のお知らせです。

世界激場の公式ブログが、諸事情により、移転します。

新しいアドレスは、こちらです。
http://sekaigekijou.jugem.jp/

今後も、世界激場をよろしくお願いいたします。

2009年 6月24日
世界激場実行委員会

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2009年6月12日 (金)

7月JIYU-KENKYUのおしらせ

JIYU-KENKYU第5回の詳細決定しました!

 こんにちは、世界激場実行委員です。
 今月はプレ勉強会「JIYU-KENKYU」をお休みさせて頂きましたが、来月はやりますよ~。
 詳細がやっと決まりましたのでお知らせしますね。

Sight2009summer01_3

日時:2009年7月5日(日) 12時~14時
場所:福岡市美術館2F「カフェテラスなかむら」
テキスト: 『SIGHT』 2009年夏号より、「内田樹×高橋源一郎対談 さよなら自民党。そして、こんにちは自民党!?」(株式会社ロッキング・オン 定価780円) ※現在、書店で発売中です。

内容:事前に各自テキストを読んできて、当日その内容について話し合う。なお、テキストの掲載誌の他の記事について読んでくる必要はなし(読んできてもいいけど)。また、今回は短いテキストなのでレジュメ等は特に用意いたしません。

 え、雑誌!?しかも、対談のとこだけ!?おまけに政治の話すんの!?とか色々PCの前で突っ込んでいる方がいそうなので(笑)、もうちょっと詳しくお話しますと、
 まずはじめに申し上げておきたい事は、確かに「SIGHT」誌の特集は「さよなら自民党」というものですが、今回のJIYU-KENKYUでは今の政局について(次の選挙では民主党が政権をとるべきか否かとか、そういう類の)ディスカッションをする気は全くありません。
 じゃあ何故この雑誌のこの対談なのかというと、「(現代の)日本人が日本人であるというのはどういう事か」という命題がこの上なく分かりやすい形で、かつメチャメチャ鋭く考察されていると思ったからです。いわば自民党論の名を借りた日本人論。おまけにテキストは短いのですぐ読めるし(笑)、値段もさほど高くなく発売されたばかりの雑誌なので手に入りやすい。
 なのでいつも「JIYU-KENKYU行ってみたいけど、テキスト難しそうだし読む暇ないし」みたいな方にはぜひ参加して欲しいです。
 参加をご希望の方は、7/3(金)までにsekai_gekijou@yahoo.co.jpまでその旨をお伝え下さい。多数のご参加お待ちしてま~す!

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2009年5月 6日 (水)

JIYU-KENKYU第4回の議事録、アップしました!

 5/3(日)、12時より福岡市美術館2Fの「カフェテラスなかむら」にて、「JIYU-KENKYU」の第4回が開催されました。
 参加者は、佐藤直樹さん、円盤人さん、PINKYさん、TUEさん、吉田晴子さんみねまいこ聡文三の7名。テキストは、松山巌著 「乱歩と東京 1920都市の貌」(双葉文庫、1999年)。
 予告したとおり、あえて変化球で望んだ今回、議論も中々変化球な感じが炸裂してた気が…。

May1

○現代における乱歩のイメージって?
聡)まず、今回何故江戸川乱歩の評論を取り上げたのか理由を述べさせて下さい。
一つは、本書は乱歩が活躍した1920年代の日本、特に東京が近代都市としての体裁をなしていって、その近代的なるものと従来の価値観との間で色んな矛盾が起こり始めた頃に焦点を当てているのですが、その時代に起こった問題は現在の都市が抱えている問題と通じるというか、現在の都市の問題が最初に始まった時代ではないか、だからこの時代を知る事は現代を知る事にも通じるのでは?と思ったからです。
もう一つの理由としては、江戸川乱歩に関する他の評論というのは、日本の探偵小説の先駆者としての評価や、もしくは乱歩のエロ・グロ・ナンセンス的な側面を取り上げ現代人の内面を考察したようなものが多いのですが、本書では乱歩が―本人は必ずしも自覚していたわけではありませんが―当時の社会状況をどう反映していたか、時代の変化というものを鋭く写していたかという視点で書かれていて、そこが面白いと思いました。で、まず皆さんには、江戸川乱歩と聞いてイメージするものをまず語っていただきたいのですが。

佐藤)僕はほとんど読んでいないですね。子供の頃に「少年探偵団シリーズ」を読んだくらいです。

吉田)私も同じですね。

みね)少年探偵団シリーズは小学校の図書室にあったから全巻読みましたけどね。で、イメージとしては「おどろおどろしい」(笑)。普通の推理小説と違って驚かせ方が理詰めじゃなくて怪談的というか。

佐藤)江戸川乱歩という筆名はエドガー・アラン・ポーのもじりですよね。元のポーというのはどのくらいの時代の人ですか。

円盤人)19世紀半ばくらいですね。世界最初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」が書かれたのが確か1840年代だったと思います(編集者註;1841年)。

吉田)少年探偵団シリーズは、何となく仮面ライダーみたいなヒーローものと同じようなイメージがありました。他の推理小説みたいな、謎解きの面白さと言うのはあまり感じませんでしたね。

TUE)本人はすごくミステリーが書きたかったんでしょうけど、体質的に違うものが出てきちゃって、それが売れちゃってそっちに引きずられていった、みたいな感じではないかと。菊池秀行みたいな(笑)。

PINKY)実は私、乱歩って読んだ事ないんです(笑)。でも明智小五郎という探偵が出るし、推理小説の人かと思ってましたけど、本書を読んでみると後半の方は結構怖い話も書いてるみたいなので、本当はどっちの人なんだろう?みたいな。

May2

○近代と前近代の狭間で
聡)皆さんのイメージ聞いてると、「おどろおどろしい」「怖い」と言うイメージが多勢をしめるんですけど(笑)、1923年に彼が「二銭銅貨」という小説でデビューした際は非常に論理的な探偵小説をかいてるわけです。ただ、初期は非常に論理的な謎解きを書いていた乱歩ですが、段々メッキの地金がはがれるように(笑)怪奇的な資質が現れてきます。

円盤人)大正15年辺りから、段々トリックのネタが尽きてくる(笑)。

聡)で、その時代がちょうど社会とか都市文化が変わってくる頃で。家制度が崩れ始めて、田舎の次男三男がお金を稼ぐために故郷から離れて都市に出てきて。で、そこで今の都市における諸問題が露になってくる。その動きと、乱歩が変わっていく動きとがシンクロしてるんですよね。それと併行して、メディアが興隆して大衆文化が非常に花開いてく。そういう流れに乱歩も乗るわけですが、毎回連載をするにあたっては理知的な探偵小説というのは合わないんです。チャンバラ小説的になっていく。

円盤人)サスペンスとミステリーの違いですね。ミステリーと言うのは過去の事件を検証する文学なので、構造上必ず解決しなければならず、閉じた方向に向かってしまう。比べてサスペンスと言うのは、「次どうなるんだ?」という事で引っ張れますから、長編に向いている。ミステリーの世界でも長編が書かれるようになったのは大分後の方なんです。で、1920年代は世界的にミステリーの黄金時代なんですが、乱歩も一応その流れには乗っている。ですが、どう日本的な設定でそれを書くかというのはかなり苦心したみたいです。例えば当時の日本家屋の構造では密室殺人が成立しないので、書くのは不可能と言われていましたから。戦後になると横溝正史などが台頭してきて、乱歩自体の探偵小説作家としての才能は一種終わってしまい、通俗スリラーもの、または少年探偵団シリーズのイメージが定着していきます。だからさっき出た、少年探偵団もの=ヒーローものというイメージはある意味正しいんです(笑)。

聡)すみません、最後の所だけもうちょっと詳しく説明していただけますか?

円盤人)子供の頃の印象として、少年探偵団シリーズが割と身近な印象だったんですよね。周りに出てくるような人物がいなかったにも拘らず。で、それは同時期に見ていた、仮面ライダーとかウルトラマンと同じような感覚ではないかと。子供時代はそうしたものをある種本能的に「見せもの」と分かってて見てたと思うんです。その「見せもの感覚」が共通するのではないかと思います。元々仮面ライダーもウルトラマンも、SFやホラーの流れから来てますし。

吉田)じゃあ乱歩はそういったヒーローもののルーツみたいな感じなんですか?

円盤人)まあそうですね。ただ乱歩の前にも黒岩涙香という、「ああ無常」や「岩窟王」を翻訳しいていた明治の大作家がいて、その人の影響を乱歩は受けているので、怪奇小説の系譜と言うとそこからの流れなんでしょうけど。

佐藤)探偵小説は日本に「モダン」として入ってきた、とありますが、日本社会は基本的にずっとモダンではなかったと僕は思っています。乱歩自身も後の方になると、その「モダン」ではない、「前近代」の要素が出てくるわけですよね、例えば「芋虫」とか。それは自分が本来持っているものへの回帰であったんだろうと思います。そこで壁に突き当たった所もあるのではないでしょうか。

May5

円盤人)乱歩が「二銭銅貨」でデビューした際、掲載された雑誌「新青年」は翻訳ものの探偵小説を載せていましたが、日本の創作を掲載する予定はなかったそうなんです。ただ「二銭銅貨」があまりにも出来がよく、特別に掲載となった。例えて言うなら、向こうのスタイルのいいモデルでしか似合わないような服をスッと着こなしている、これならアメリカデビューしても売れるぞ、みたいな(笑)。

佐藤)学問の世界では当時の雑誌と同じような事を未だにやってるわけ。僕は法律をやってるんだけど、向こうから(理論を)輸入してきて、ヨコのものをタテにして、「向こうではこういう議論をやってますよ」みたいな感じで、「自前のものとして上手く着こなす」事は未だにできていない。それ考えたらすごい人だよね、乱歩って。

円盤人)ただ松山さんの議論では、そういう(上手く着こなす)事を許す土壌も出来てきてた、って感じですよね。

聡)さっきの密室云々の話で言えば、本文にも「屋根裏の散歩者」で鍵をかけられる部屋と、プライバシーがこの頃誕生してきた、とあります。そういう意味では確かにそうだと思います。ただ、最初から密室がデフォルトとしてある西洋とはまた違うとも思います。違うから外面的な自分と内面的な自分、または他者とのギャップで屋根裏に登って他人の私生活の透き見をするようになるし、第一屋根裏があって、天井に節穴がある時点で西洋の密室じゃない(笑)。近代的なものが入ってきて、でもそれに馴染めないものがあって、そこのフリクションみたいなものがああいったところに出ていると思います。で、乱歩の作品自体がそういうフリクションを元に生まれたものが多いのではないかと。

○江戸川乱歩は「反」何なのか
聡)「芋虫」が発表された当時、戦争で手足を失った軍人を題材にしたという理由で当時のプロレタリア文学界から高く評価され、また当局から発禁になっているわけですが、乱歩がこれに答えて言うには、違うんだよと。自分は苦痛と快楽と惨劇を書きたかっただけだ、と言っています。こういう事からも分かるように、乱歩は自分の作品と社会の関わりというのに関心があった人ではありませんが、体質としてどうしようもなく出てしまうんですよね、反社会と言うか・・・。

佐藤)反近代?

TUE)反人間じゃないですかね。

聡)割と社会体制とかはどうでもいい人ですからね。ただ体制に対してあからさまにアンチとか言う人ではないんですが、存在自体がアンチと言うか、世の在り様を鏡のように映し出して図らずもそれにNOを突きつけてしまう所があると思うんですよね。

円盤人)でも表現をする人って、自分が全然意図してない所で褒められたりする事ってあると思うんですけど、多分「芋虫」の評価ってそういう所だったのではと。

○乱歩初心者は乱歩をどう見たか
聡)えー、おっさん4人ばっかり喋っててもしょうがないので(笑)、他の人にも話を振りたいと思います。本書を読んでみて、これは今の社会にも通じるなあと思ったところとかはありますか?

PINKY)3章の「性の解放、抑圧の性」の所を読んで、「乱歩って凄い変態くさい人だなあ」とは思った(笑)。妄想の方が凄そうで、今で言うならアダルトヴィデオとか逆に観れない人、みたいな。

May3

聡)性に関してはどうか知りませんが、犯罪に関してはそういう所があるかもしれない。実際の犯罪行為には興味がないという。割と常識人としての一面もありますから。

PINKY)でもそんなまともな人がこんな事思ってたんだと思うと逆に怖くないですか?どんな面の皮だよ!みたいな(笑)。

みね)今日話してた、西欧的な学問がバリバリ出来る乱歩が自分の作品の中にプレモダン的な要素が出てきてしまう、というのは恐らく日本だけの問題ではないような気がします。私が今研究している、TONI MORRISONというアメリカの黒人女性作家なんかも、トップレヴェルの教育を受けてる人なんですけど、書いている小説はルーツであるアフリカ的な世界観が―死者が生きてる人間と暮らしたりとか―全面的に出てくる。で、彼女は近代的なものとの葛藤の中でプレモダン的な要素を前面に出す事によってノーベル賞を取ったんです。私も日本で生きてて西洋とぶつかって何を造るかと考えた時に、自分の中のプレモダン的な要素を考えなきゃいけないと思っていたので、乱歩にも同じような事があると思ったので凄く身近に思えてきました。

聡)ただ乱歩は必ずしもそこに自覚的だったわけではないので、そこが偉大っちゃあ偉大だし、悲劇といえば悲劇とも言えますけどね。

吉田)1章の所で「幼なじみと久し振りに再会してもそんなに盛り上がらないよ」という趣旨の事が書いてありましたけど、「D坂の殺人事件」でそういう話に繋がる事が押し付けがましくもなくさらっと書いてあって(註;被害者の幼なじみであるという理由で殺人の嫌疑をかけられた明智小五郎が「小学校に上がる前に別れたきりの幼なじみに、私が抱く特別な感情などない」という趣旨の発言をするくだり)、そういう所がいいなあと思いました。

聡)でも「D坂」からここのくだりを引っ張ってくる松山さんって凄いよね。普通こういう所はスルーする箇所なんですよ。

さてさて今回はこの辺で。面白かったですか?皆さんのコメントをお待ちしています。
ここでお知らせ。毎月1回のペースでやってきたJIYU-KENKYUですが、来月は1回お休みします。
ですので、次回は7/5(日)、12時からとなります。テキストはまだ未定。詳細は後日お知らせします。お楽しみに!

参考文献
・江戸川乱歩―評論と研究/中島河太郎編 (講談社 1980年)
・江戸川乱歩ワンダーランド/中島河太郎責任編集 (沖積舎 1989年)
・コロナブックス 江戸川乱歩 (平凡社 1998年)

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2009年5月 4日 (月)

JIYU-KENKYU第4回終了しました!&来月はお休みします。

 昨日5/3(日)、世界激場プレ勉強会「JIYU-KENKYU」の第4回が無事終了いたしました。
 参加頂いた皆様、有難うございました!

 今回は「乱歩と東京 1920都市の貌」という、今までの流れからちょっと外れたテキストを選びましたが、中々濃いディスカッションが繰り広げられました。
 その模様は後日公式ブログhttp://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/blog/にアップします。お楽しみに!

 それと、毎月1回のペースで行っているJIYU-KENKYUですが、来月(6月)はお休みいたします。
 なので、次回は7/3(日)、12時からとなります。場所は同じ福岡市美術館2F「カフェテラスなかむら」です。テキスト等詳細が決まったらまたお知らせします。

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2009年4月27日 (月)

僕らの仲間が新しいフリーペーパー「SOUTH POP」を立ち上げました。

 今回は世界激場と直接の関連はないのですが、嬉しいニュースがあったのでお知らせします。
 僕らの仲間、実行委員の吉田晴子がこの度、九州エリアを中心としたインディーニュージックを紹介するフリーペーパー、「SOUTH POP」を立ち上げました。
 ついこないだ記念すべき創刊号が出たばかり。ちなみに特集は、大分在住のシンガーソングライター、アカシモモカさんhttp://harmo.jp/momoka とアカシさんの新しいアルバムのプロデューサー、三沢洋紀さん(letter、LABCRY) http://blue.ap.teacup.com/memomemo のインタヴュウです。

 70年代のパンク時代90年代のストリートで起こった手作り冊子のムーヴメント「ジン・カルチャー」に影響を受けたと吉田発行人の弁。
 九州エリアのみなさんは、是非この生まれたてのFREE MAGを手に戸ってみて下さい!

 SOUTH POP公式サイト http://www.southpop.com

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2009年4月12日 (日)

JIYU-KENKYU vol.4 告知です。次は5月3日(日)。

場所:福岡市美術館(大濠公園内)、2Fカフェ なかむら 
時間:5月3日(日)12:00〜14:00

これまで、辻井喬の作品を通じて、日本の戦前ー戦後の政治思想、文芸、経済など、多岐にわたる分野の変遷を追って来ました。また、それを通じて、2010年の日本という国で生きる上で、何が問題で何をしなければならないのか?参加者のそれぞれが、大なり小なり感じたり考えて来たつもりです。さて、ここで一度辻井作品から離れて、よりダイレクトに日本近現代史にアプローチすることで、今自分たちの生きる時代の意味を相対化させたいと考えました。もちろんガチガチの日本史をやってもいいのですが、お茶を飲みながらの日曜昼の勉強会ですしね、こんな本を今回は選んでみました。

書名:乱歩と東京—1920都市の貌(双葉文庫—日本推理作家協会賞受賞作全集)
 著者:松山 巌
 出版社:双葉社
 定価:600円(税込)


 なお、同書はちくま学芸文庫からも出ています。ただしこちらは現在品切れとの事。

 また、福岡市の図書館でも貸し出し可能です。ご参考まで。

参加ご希望の方は、こちらまでメールを送って下さい。たくさんの方のご参加をお待ちいたします。
sekai_gekijou@yahoo.co.jp

報告者:聡文三

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JIYU-KENKYU vol.3 報告

JIYU-KENKYU議事録 vol.3
JIYU-KENKYU vol.3のテキストは、辻井喬『伝統の創造力』でした。福岡市美術館カフェなかむらにて、4/5(日)12:00〜14:00まで行われました。※毎月、第一日曜日の正午からです。みなさん、お越し下さい。

出席者:漫画評論家の紙屋高雪氏(漫画『資本論』の出版を4月中旬に控え大変お忙しい中、出席していただきました、有り難うございました!)、TUEさん、吉田さん、岩本さん、聡文三みねまいこ、計6名でした。討論の内容の一部を公開いたします。

<読後書後の感想>
TUE:私は伝統=短歌とはすんなりと思えなかった。短歌はいわるゆハイカルチャーなのでは。そもそも五七五なんて、生活から生まれたリズムじゃないと思っています。むしろ地方の芸能、盆踊り、都々逸とか、○○節とか、記憶のレベルでは、私にとってそっちの方が伝統として大きい。
聡:短歌が戦争のときに道具として使われた背景があって、その反動として戦後になって、伝統的なものを全否定しちゃって、衰退しましたという事例として短歌が挙げられていたように思います。もちろん短歌に限らず、こういうことあったと思う。辻井が最初、短歌から始まったというベースがあったから、短歌を事例としていたのではないかと。だから、人によっては伝統=地方の演劇と思う人もいるという話で。
みね:伝統がないところには、新しい創造はない、という主張がなされていたわけですが、戦後は「自由な精神」の名のもとに、とくに現代詩の例がありましたよね、面白い作品を作っても、それが単発で終わる。伝統に根ざしていない作品は短命だし、また次世代の詩人を産むような創造的な土壌も作れない。
紙屋:たとえば、漫画が盛んだけども、それに対して文学って若い人に訴える力があまりないんじゃないかという風にいわれていて。
聡:はい。
Img_0627
中央奥:紙屋高雪、手前右:TUE
(撮影:聡)

紙屋:文学史がすたれていって、文学が衰えていますよーというのが第1章の話で。次の章が、原因は端的にいって、伝統が力がなくなったからからですよーと。だけど、伝統の力って言ってるときに、本文にも出てくる「伝統尊重論者」が言っているような伝統じゃなくて、まあ簡単に言えば「自分がわくわくしたり」「自分が本当に思っているような気持ち」で、民衆が歴史的にずっとつむいできたものじゃないでしょうか。それから離れてしまったから、文学っていうものが衰えていくんだっていうことだと思うんです。最後に「伝統の継承」っていうのをヨーロッパと比較していましたが、
みね:TSエリオットが出てきましたね。
紙屋:本当に伝統の捉え方っていうのは静態的というか、昔あったこういう貴重なものをたとえば能、だとかいうんじゃなくて、日々新しく私たちがこういうことをやりたいとか、こういう風なものがわくわくするとか、そういうものが気持ち的にはしっくりくる。気持ちのベースにある暗いところがあるでしょ、自分の中に。欲望とか。そういうものが伝統の礎となっていて、それを歴史とつなげる努力が一方である。それを踏まえて、創造力、新しく新しく創造していく力が必要なんですよというようなことを、辻井は言っていると思うんです。それがないと、つまり歴史意識がないと、ただ欲望にこたえるだけになってしまう。たとえばそれを街の景観でいえば、渋谷の汚い街みたいになってしまったり。だから自分の欲望と、社会や歴史意識といったものと「自然な形」でつなげることが必要なわけです。社会や歴史意識みたいな大テーマと、個人的なたとえば「私がなぜエロいことを考えるのか?」なんていうことを、どうやったら組み合わせられるのか。実は私自身の抱えている問題意識でもあるのですが、そこを自然な形でつなげたい、と。
TUE:私はジャンプが600万部売れていたときに、読まなくなりました。
紙屋:小さくていいんです。自分のわくわくする気持ちと、社会や歴史がきちんと結びついた作品ができればいいのですけど。そういうものが本当にできているかというと。歌や音楽でしたら、「私」の世界にこもってしまっているのか、それとも「社会派」みたいな音楽として、両者がばらばらにあるのか。もしくは、うまく両者が統一されている感じの音楽があるのかないのか。統一させる必要はないという議論もあるかもしれませんが。
TUE:いろんな人がいる方が面白いんじゃなかと思います。
紙屋:しかし、自分の個別の状況と、社会の状況がつながっていない、つまり「私」の世界にこもってしまったことが結局、文学の衰退につながるんじゃないかと、この人(辻井)は言ってるわけです。
Img_0624
(右:紙屋高雪、中央:吉田、左:岩本、手前:みね)
(撮影:聡)

<文学と伝統を、音楽に読み変えると>
聡:私はロックしかわからん人間なので(笑)、音楽の話しでこの伝統という問題を考えたときにですね。黒人音楽は、農作業のときの歌から、ブルースになって、その後いろいろなジャンルに分化されていきますよね。ジャズになったり、電気楽器が入ってロックになってでもベースにあるのは、ブルースなんですよ。それはある意味、伝統に対して固執する考え方でもあったわけです。たとえばジミ−・ヘンドリックス、もともと彼はブルースで、でも、もうむちゃくちゃなことをやりますよね、いろいろなものを取り入れて。でも根柢にあるのはブルース。そういう距離の取り方ができないのか?って思うんです。われわれが。今だって商品化されていないコアなヒップホップとか、非常にコンテンポラリーな音作りをしている人の中には、まったくブルースの感じがないか?といえば実はそうじゃない。ちゃんとブルースが入っている。アウトキャストのこの間のアルバムとかね。
吉田:どのくらいの時期の影響がみられましたか?
聡:1920年代の感じだったと思います。他にいちばんわかりやすい例をいえば、ベックとか。彼はヒップホップが10代の頃あって、さらにブルースのコレクターになって、周りにもちゃんとそういう人間がいたんだと思うんですけど、まさに伝統が彼の生活感覚としてあった中で、それを自分の中で融合させて、新しい音楽を作った。それが日本の文学でやれるのか、やれないのか?ってことだと思うんです。
TUE:生活感覚。(福岡県の)大牟田市なんかを歩くと、伝統と言う意味ではすごいですよ、炭坑で栄えた町の跡地。
聡:自分達がつながっている感じの、いわばリアリズムのある伝統だよね。一方で、教育改革国民会議が言っている伝統っていうのは、いわゆる門司港レトロ的なレベルものじゃないんですか。
吉田:門司港レトロ地区を、私は伝統とは思いませんが。
聡:門司港レトロ地区を見て、伝統を感じるかといえば、作られたものですしね。すごくざっくり言えば、教育改革国民会議は、門司港レトロ地区みたいなものを、自分達の伝統だと思っている。

<伝統を守るとはどういうことか?>
TUE:伝統を守ろうとして、逆に壊していることはある。たとえば博多弁を残そうとしたとしますよね。しかし博多弁でも地区によってまったく違うわけで、でもひとつの地区の博多弁を唯一の博多弁として次世代に伝えるようなことが起きる。他の地区の博多弁は失われるわけですよ。あとは、伝統というものは保存した時点で、伝統が死んでしまうってことはよくある。
岩本:芸能にせよ、文学にせよ、変わりなく現代に伝わることはないでしょうし、だけどこんな短歌があるんだってということは人から人に伝えられているから、現在の僕らがわかる。つまり、最終的には、受け取る側の問題なんじゃないかと思うんですよね。伝統をある時点で保存するってことは、写真でその瞬間を記録するってことでしょう。それが博物館やなんかに置かれて、でもそれは見る側がどのように受け止めるかってことこそが大事なんであって。だから伝統が死ぬとか、壊してしまうとか、そんな風に考えなくてもいいんじゃないんでしょうか。

<感性の問題>
聡:辻井が「感性から伝統と思想が育つ」ということを言っていましたが、この感性がくせものです。感性というのは、放っておいたらどんどん狭くなる。むしろ自分の感性を疑うことが、最大に感性を育てることなのかも。自分の感性を疑って、感性を広げていくというのは、じつはずっと世界激場のテーマだったりもするわけなんですが。
吉田:感性が狭くなっても、普通に生活している分にはそれでも生きられますよね。逆に、何かを表現するタイプの人がもし感性が狭くなるとまずいという話だということではありませんか?
聡:普通の人もやばいですよ。極端な話、会社の偽装問題とか。社会という視点が抜けちゃってて、ほっとくと会社だけで共有される感性になってしまう。ある人が書いてたんですけど、「社会に出る」はずなのに「会社に入る」と表現するのはどうしてなのか?と(笑)。
TUE:会社と家の往復だけで何十年過ごすというのは、全寮制の学校にずっと入ったようなもんかもしれませんね。ところでサラリーマンって、なんで野球の話しかしないんだろう。どうせ野球の話をするならもっと専門的な話、熱弁を振るえばゆるせるけど、
岩本:別に野球の話しをしてもいいじゃないですか。
TUE:大人のするパブリックな話、共通の話題が、野球って、ちょっとゆるせません。
岩本:何を話したって別にいいじゃないですか。
みね:んーさて、そろそろ時間となりました。出席ありがとうございました。次回は、辻井のテキストから一度離れて、日本の近現代史に関連する本か、それに近い本を読んで、自分達の生きている時代を相対化してみたいと思います。

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2009年4月 7日 (火)

JIYU-KENKYU vol.3終了!

4/5(日)、第3回目のJIYU-KENKYUが終了しました!そのときの内容など、報告は後日いたします。お楽しみに!

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2009年3月 9日 (月)

4月5日(日)JIYU-KENKYU vol.3 告知!

次回のJIYU-KENKYUの詳細が出ました。この厳しい現実を「ただ、耐え忍ぶ真冬の『みのむし』にならないで、べんきょーしようぜー」というコンセプトで、パンクロックをやっているTARJEELINGの聡文三(そうぶんぞう)と歌手のみねまいこによって始められました。毎月1日曜日の真昼の12:00〜14:00、場所は福岡市立美術館です。

この読書会は、仲間内の集まりではありません。初めて会う/コーヒーを飲む/自己紹介もなく/本を開き/語る/解散して終わります。知らないことを知る。刺激を与えてもらう。そして、集まった人たちの討論(という名の雑談!)から、なんらかのアイデアを得ることができたらと思いますが、うーん、そう簡単にべんきょーは進むものでもありませんよね。

しかしありがたいことに、JIYU-KENKYUに興味をもってくださる人たちの中には、売れっ子の漫画評論家や現代評論家などかっこいいアカデミズムの人たちがいて(パチパチパチ)、彼らが毎回参加するため、わからないときには助け舟を出してくれることが多いです。よって、本(日本語)が読める人なら性別年齢国籍を問わず誰でも来て話ができると思います。

本を選ぶ基準は、発起人の聡文三とみねまいこが、一番注目する作家、です。いま、私たちが読まなければいけないと考えているのは、辻井喬の著作です。読売新聞の毎週金曜日に「辻井喬×堤清二 回想録」が連載されているので、若い方で、彼の名前を知らない人はそちらを読めば詳しいかと思います。

前置きが長くなりましたが、次回の詳細です。

日時:2009年4月5日(日)12:00〜14:00 
場所:福岡市立美術館 カフェなかむら
本:辻井喬『伝統の創造力』岩波新書。735円 
(前もって読んで来て下さい)
参加ご希望の方は、4月3日(土)までにメールをください。人数の確認とカフェの座席を確保したいのです。
ちなみにだんだん出席者が減っています。出席よろしく!
sekai_gekijou@yahoo.co.jp

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2009年3月 2日 (月)

JIYU-KENKYU vol2 終了しました&報告

3/1、12時半より福岡市美術館2Fの「カフェテラスなかむら」にて、「JIYU-KENKYU」の第二回が開催されました。
参加者は、紙屋高雪(そう、「世界激場」第1回でトークセッションをしてくれた方です)、吉田晴子、みねまいこ聡文三の4名。テキストは、辻井喬著 「憲法に生かす思想の言葉」(新日本出版、2008年)。当日の議論はこんな感じでした。

○基本となる4つのテーマ

聡)今回のテキスト「憲法に生かす思想の言葉」についての個人的な感想をまず述べさせていただきます。この本は講演集ということで、色々な場所で喋った事が収められているわけですが、同じ事柄を繰り返し喋ってる所もあると思います。で、そのテーマ、この本で作者が言いたい事を煎じ詰めたら、①「感性から出た思想」で語れ②既成概念を疑え③「伝統」(=過去の遺産)をきちんと見極めよ④「敵」の立場に立つ想像力を持て に集約されて、あとは憲法の問題に絡めてだとか、文学の抱えてる問題だとか、実際にそういう事を実践していた宮本百合子さんについての話だとか、各論の話になっちゃうんじゃないかと思いました。で、まずみなさんがこの本にどういう感想を持ったのかをまず伺いたいと思います。
みね)敵の立場に立つ想像力、相手に理解される言葉で語ろうというのは、とても必要な事だと思いますが、実際には非常に難しい事だろうなあと思います。やっぱりどうやったって話の合わない人はいるし(笑)。
聡)まあ辻井さんにしたって、改憲派の主張に対して反論している箇所があるわけですが、それは相手の立場に立ってのものだけどこれで説得されない人もいるのはいるでしょうね。ま、でも姿勢の問題として、こういう態度で臨めというのが大事なんじゃないかと。
紙屋)4つの項目のうち、①「感性から出た思想」で語れ、というのが一番自分にとっては重要でした。それは自分が追求している事―「オタク」としての感性で語る言葉と、「サヨク」として社会や政治を語る言葉をいかに統一させるか、と基本的に同じだからです。先日私の関わっている『ロスジェネ』誌の編集長の浅尾大輔が吉本隆明と「RONZA」誌で対談してて、吉本氏は「そういう事は出来っこないし、そういう統一のさせ方こそがファシズムです」という主旨の事を語っていました。辻井さんは吉本さんと同世代ですが、感覚的には辻井さんの考え方の方が私にはピッタリ合いますね。

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(撮影:みね)

吉田)吉本さんに関しては、去年久し振りに講演をやったというTV番組を観ていて、「日本が戦争に負けて、今まで信じていたものが一気に崩壊して、それでマルクスの「資本論」とかを読み漁った」みたいな事を語ってた時に、全然なぜそうなるのか分かんなかったんですよね。でも、当時の人達にとっては社会主義的な考え方はすごく信じられるものだったし、言い方変ですけど「カッコいい」ものだったんだろうな、というのは何となく分かりますね。私個人は政治の事とか全くわからないし、社会主義×資本主義と言われても?という感じだったんですけど。
みね)いや、吉田さんの感覚の方が普通だと思いますよ?うち等の方がむしろおかしい(笑)。

○伝統重視という感性、伝統否定という感性

聡)僕はこの本のことを自分の問題として捉えている所もあって。というのはやっぱり歌を作って歌う事をしているわけで、「感性から出た言葉じゃないといけない」とかいうのは自分が曲を作る際にも跳ね返ってくる事だから。ただ、「感性が重要」といいますけど、僕はそこにも疑いがあって。例えば、伝統の扱われ方にしても、僕たちは「伝統否定」がデフォルトになって早何十年と言う時に生まれたわけで、そういう人の「感性から出た思想」が伝統否定的になる事も有り得るでしょう。「何か知らねえけど伝統ダセエよ」みたいな。辻井さんはそういう人達の事をどう見るんだろう?
みね)どうだろう、むしろ最近は伝統に対して肯定的な人が多いような気がするなあ。最近のラップの歌詞とか見ると、両親に感謝するようなフレーズが多かったり。なんだか寒気が走るんですけど(笑)。あと国会議員とかの世襲制にしても割とみんな寛容だし、「地元の仲間とずっとつるんで」的なローカリティが若い人達の間で重視されてるような気がするし。
紙屋)確かに、漫画の設定などを見ても「地元の生活圏が自分を支えてる」と言うような考え方って若い人達の間では増えてる気がしますね。でもそれってみねさんは何が嫌なんですか?
みね)それって結局、地元の限られた仲間内の間で恋愛したの結婚したのって人間関係が変遷していくだけでしょう?ああいうのダメですねー。個人的な問題かもしれないけど。
紙屋)吉田さんとかはそういうのってどう思います?
吉田)私もそれはイヤですねー。知ってる人の回りだけではすませたくない。ただ、「地元を捨てて東京に行かなきゃ新しい連れが手に入らない」と言うのもイヤなんですよ。福岡にいると、地域的だけどここに東京とか、色んな所から人がやってくると言う事もあるから。
紙屋)でもフランス革命とかでも、最初理性を重視した社会を目指そうとしたけど、その後伝統の中にある知恵を見直そうという保守主義が台頭したわけで。最近の共産党の運動とかでも、地元の保守勢力と手を結んで新自由主義的な大規模店舗の進出を阻止しようという事をやったりしてるわけです。だから伝統を重視すると言うのは結構大事な事なんじゃないかなと僕は思います。
聡)ただ最近はさすがに減りましたが、「伝統的な価値観」ってかつてはかなりの強制力がありましたよね。個人主義的な価値観と伝統的な価値観がどっちも「それもありだよね」みたいな感じで共存出来るといいですけど、現実にはまだやっぱりそうでもなくないですか?
紙屋)確かにそうですが、「昔ほどでもなくなってきている」というのはそれだけでも進歩ではないかと思います。
みね)確かに寛容になってるとは思いますけど、若い人達の間で「伝統的な生き方」に自ら進んで殉じてる一種の「元気のなさ」がムカつくというか(笑)。
紙屋)でも今の社会では「個人で強く生きなきゃいけない」というメッセージが強く発せられているじゃないですか。そういう中で生きてる若い子にとっては、互いに依存し合える関係性というのが心地いいわけですよ。
聡)みねさんがそう思うのは多分みねさん自身が「強い個人」だからじゃないですか(笑)?

○「感性から出た思想の言葉」なんてロックの歌詞がとっくにやってるんじゃ?

聡)本の中で辻井さんが反戦詩について、「ただ『戦争反対』だの『憲法改正阻止』だのを出しただけでは詩というよりスローガンだよ、もっと生活感覚から出た言葉じゃないとつまらないものになるよ」という主旨の事をおっしゃってましたよね。このくだり読んだ時、正直言って「何だ今の詩の世界ってそんなくだらないレヴェルで低迷してんの?」と思ってしまったんですけど(笑)。だって私の専門のロックの世界ではそんな事当たり前ですからね。今日はその証拠物件をいくつか持ってきてまして(笑)、皆さんに読んで頂きたいんですけど(と言って佐野元春「誰も気にしちゃいない」ブランキージェットシティ「冬のセーター」、ソウルフラワーユニオン「海行かば 山行ば 踊るかばね」、ランディニューマン「DATON, OHIO 1903」の歌詞を参加者に回す)。こんな凄いのが普通にCD屋さんで手軽に手に入るご時勢に、お前ら何やってんの?と詩の世界の人に言いたい(笑)。
紙屋)ただ反戦詩側の立場からすると、「これでは主張としてぬるい、もっと具体的に問われている事について鋭く言わなければ」と思われてるかもしれませんよ。
みね)その辺は表現の仕方とかテクニックにもよると思います。私は山本耀司さんというデザイナーが好きなんですけど、彼が数年前「反戦」というテーマで作ったものは、恐竜のようなフォルムの服を作って、でも柄は迷彩とかで、「戦争を完全に無化した恐竜」というコンセプトで作ってて、凄くカッコ良かったんですよね。そういうアピールの仕方ってかなり知性が要りますよねえ。

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(撮影:みね)

吉田)そもそも詩集とかってそんな買わないじゃないですか、それだけのために。でも音楽とかファッションとかだったら普通にみんな買うし、興味ない人にもアピールする事が出来るし。
聡)ただ「戦争反対」とか普通に書いても、読む人は「ああ分かった分かった、反戦ね」で終わっちまうかもしれないでしょう。そこは工夫が必要ですよね。昔岡本太郎がアメリカの新聞にベトナム戦争反対の広告を出して、「殺すな」って見た奴を殺しそうなテンションの書道を載せてたけど(笑)、あれはただ「殺すな」と活字で書いてもインパクトがない。ああいう字体で日本語の分からない人間に向けて発する事で色んな感情を換気させる仕掛けがある。ああいう事だと思うんですけど。

○「七五の魔」って何だろう

聡)短歌についての話で、小野十三郎さんの言う所の「七五の魔」(日本独特の韻律である「七五」のリズムは批判精神を麻痺させる、という小野の短歌批判)っていうのがピンと来なかったんですよね、感覚的に。どういう意味だと思います?
みね)私は単に、その形式から出られないという事かなと思った。
紙屋)要するに短い節で、日本人にとって心地いいリズムで詠嘆という現状肯定的な感情を歌うというのでは批評精神が成り立たないんじゃないか、という事ではないでしょうか。
聡)その心地いいリズムに違和感ありまくりの言葉を乗せるのも手じゃないかと思うんですけどねえ(笑)。そういうのってロックでは常套手段ですよ。
吉田)音楽を聴いてて、「このリズムにこういう言葉を乗せて、上手いなあ」とかは確かに思いますね。
紙屋)ただ個人的には、自分の気持ちの発露として、散文になったり詩のような言葉になるというのはありますけど、五七五のリズムにそれを託す気持ちにはなれないですけどね。
聡)僕も例えば俳句で言ったら山頭火とか、伝統的な韻律に全くのっとってない方がむしろピンと来ます。
みね)でもこないだTVで「お~いお茶」の俳句募集のニュースをやってたんですけど、過去最高の応募があったらしいですよね。それはちゃんと七五のリズムにのっとって、季語を入れてというものだと思うんですけど、そんなにこのリズムに気持ちを表せる人がいるんだと思ってちょっとびっくりしました。

どうでしたか?全部はとても掲載できませんでしたが、他にも色々面白い話が飛び出しました。
次回の「JIYU-KENKYU」は4/5(日)、12時から今回と同じ場所で行います。
テキストはまだ未定。詳細は後日お知らせします。お楽しみに!

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