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2009年3月

2009年3月 9日 (月)

4月5日(日)JIYU-KENKYU vol.3 告知!

次回のJIYU-KENKYUの詳細が出ました。この厳しい現実を「ただ、耐え忍ぶ真冬の『みのむし』にならないで、べんきょーしようぜー」というコンセプトで、パンクロックをやっているTARJEELINGの聡文三(そうぶんぞう)と歌手のみねまいこによって始められました。毎月1日曜日の真昼の12:00〜14:00、場所は福岡市立美術館です。

この読書会は、仲間内の集まりではありません。初めて会う/コーヒーを飲む/自己紹介もなく/本を開き/語る/解散して終わります。知らないことを知る。刺激を与えてもらう。そして、集まった人たちの討論(という名の雑談!)から、なんらかのアイデアを得ることができたらと思いますが、うーん、そう簡単にべんきょーは進むものでもありませんよね。

しかしありがたいことに、JIYU-KENKYUに興味をもってくださる人たちの中には、売れっ子の漫画評論家や現代評論家などかっこいいアカデミズムの人たちがいて(パチパチパチ)、彼らが毎回参加するため、わからないときには助け舟を出してくれることが多いです。よって、本(日本語)が読める人なら性別年齢国籍を問わず誰でも来て話ができると思います。

本を選ぶ基準は、発起人の聡文三とみねまいこが、一番注目する作家、です。いま、私たちが読まなければいけないと考えているのは、辻井喬の著作です。読売新聞の毎週金曜日に「辻井喬×堤清二 回想録」が連載されているので、若い方で、彼の名前を知らない人はそちらを読めば詳しいかと思います。

前置きが長くなりましたが、次回の詳細です。

日時:2009年4月5日(日)12:00〜14:00 
場所:福岡市立美術館 カフェなかむら
本:辻井喬『伝統の創造力』岩波新書。735円 
(前もって読んで来て下さい)
参加ご希望の方は、4月3日(土)までにメールをください。人数の確認とカフェの座席を確保したいのです。
ちなみにだんだん出席者が減っています。出席よろしく!
sekai_gekijou@yahoo.co.jp

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2009年3月 2日 (月)

JIYU-KENKYU vol2 終了しました&報告

3/1、12時半より福岡市美術館2Fの「カフェテラスなかむら」にて、「JIYU-KENKYU」の第二回が開催されました。
参加者は、紙屋高雪(そう、「世界激場」第1回でトークセッションをしてくれた方です)、吉田晴子、みねまいこ聡文三の4名。テキストは、辻井喬著 「憲法に生かす思想の言葉」(新日本出版、2008年)。当日の議論はこんな感じでした。

○基本となる4つのテーマ

聡)今回のテキスト「憲法に生かす思想の言葉」についての個人的な感想をまず述べさせていただきます。この本は講演集ということで、色々な場所で喋った事が収められているわけですが、同じ事柄を繰り返し喋ってる所もあると思います。で、そのテーマ、この本で作者が言いたい事を煎じ詰めたら、①「感性から出た思想」で語れ②既成概念を疑え③「伝統」(=過去の遺産)をきちんと見極めよ④「敵」の立場に立つ想像力を持て に集約されて、あとは憲法の問題に絡めてだとか、文学の抱えてる問題だとか、実際にそういう事を実践していた宮本百合子さんについての話だとか、各論の話になっちゃうんじゃないかと思いました。で、まずみなさんがこの本にどういう感想を持ったのかをまず伺いたいと思います。
みね)敵の立場に立つ想像力、相手に理解される言葉で語ろうというのは、とても必要な事だと思いますが、実際には非常に難しい事だろうなあと思います。やっぱりどうやったって話の合わない人はいるし(笑)。
聡)まあ辻井さんにしたって、改憲派の主張に対して反論している箇所があるわけですが、それは相手の立場に立ってのものだけどこれで説得されない人もいるのはいるでしょうね。ま、でも姿勢の問題として、こういう態度で臨めというのが大事なんじゃないかと。
紙屋)4つの項目のうち、①「感性から出た思想」で語れ、というのが一番自分にとっては重要でした。それは自分が追求している事―「オタク」としての感性で語る言葉と、「サヨク」として社会や政治を語る言葉をいかに統一させるか、と基本的に同じだからです。先日私の関わっている『ロスジェネ』誌の編集長の浅尾大輔が吉本隆明と「RONZA」誌で対談してて、吉本氏は「そういう事は出来っこないし、そういう統一のさせ方こそがファシズムです」という主旨の事を語っていました。辻井さんは吉本さんと同世代ですが、感覚的には辻井さんの考え方の方が私にはピッタリ合いますね。

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(撮影:みね)

吉田)吉本さんに関しては、去年久し振りに講演をやったというTV番組を観ていて、「日本が戦争に負けて、今まで信じていたものが一気に崩壊して、それでマルクスの「資本論」とかを読み漁った」みたいな事を語ってた時に、全然なぜそうなるのか分かんなかったんですよね。でも、当時の人達にとっては社会主義的な考え方はすごく信じられるものだったし、言い方変ですけど「カッコいい」ものだったんだろうな、というのは何となく分かりますね。私個人は政治の事とか全くわからないし、社会主義×資本主義と言われても?という感じだったんですけど。
みね)いや、吉田さんの感覚の方が普通だと思いますよ?うち等の方がむしろおかしい(笑)。

○伝統重視という感性、伝統否定という感性

聡)僕はこの本のことを自分の問題として捉えている所もあって。というのはやっぱり歌を作って歌う事をしているわけで、「感性から出た言葉じゃないといけない」とかいうのは自分が曲を作る際にも跳ね返ってくる事だから。ただ、「感性が重要」といいますけど、僕はそこにも疑いがあって。例えば、伝統の扱われ方にしても、僕たちは「伝統否定」がデフォルトになって早何十年と言う時に生まれたわけで、そういう人の「感性から出た思想」が伝統否定的になる事も有り得るでしょう。「何か知らねえけど伝統ダセエよ」みたいな。辻井さんはそういう人達の事をどう見るんだろう?
みね)どうだろう、むしろ最近は伝統に対して肯定的な人が多いような気がするなあ。最近のラップの歌詞とか見ると、両親に感謝するようなフレーズが多かったり。なんだか寒気が走るんですけど(笑)。あと国会議員とかの世襲制にしても割とみんな寛容だし、「地元の仲間とずっとつるんで」的なローカリティが若い人達の間で重視されてるような気がするし。
紙屋)確かに、漫画の設定などを見ても「地元の生活圏が自分を支えてる」と言うような考え方って若い人達の間では増えてる気がしますね。でもそれってみねさんは何が嫌なんですか?
みね)それって結局、地元の限られた仲間内の間で恋愛したの結婚したのって人間関係が変遷していくだけでしょう?ああいうのダメですねー。個人的な問題かもしれないけど。
紙屋)吉田さんとかはそういうのってどう思います?
吉田)私もそれはイヤですねー。知ってる人の回りだけではすませたくない。ただ、「地元を捨てて東京に行かなきゃ新しい連れが手に入らない」と言うのもイヤなんですよ。福岡にいると、地域的だけどここに東京とか、色んな所から人がやってくると言う事もあるから。
紙屋)でもフランス革命とかでも、最初理性を重視した社会を目指そうとしたけど、その後伝統の中にある知恵を見直そうという保守主義が台頭したわけで。最近の共産党の運動とかでも、地元の保守勢力と手を結んで新自由主義的な大規模店舗の進出を阻止しようという事をやったりしてるわけです。だから伝統を重視すると言うのは結構大事な事なんじゃないかなと僕は思います。
聡)ただ最近はさすがに減りましたが、「伝統的な価値観」ってかつてはかなりの強制力がありましたよね。個人主義的な価値観と伝統的な価値観がどっちも「それもありだよね」みたいな感じで共存出来るといいですけど、現実にはまだやっぱりそうでもなくないですか?
紙屋)確かにそうですが、「昔ほどでもなくなってきている」というのはそれだけでも進歩ではないかと思います。
みね)確かに寛容になってるとは思いますけど、若い人達の間で「伝統的な生き方」に自ら進んで殉じてる一種の「元気のなさ」がムカつくというか(笑)。
紙屋)でも今の社会では「個人で強く生きなきゃいけない」というメッセージが強く発せられているじゃないですか。そういう中で生きてる若い子にとっては、互いに依存し合える関係性というのが心地いいわけですよ。
聡)みねさんがそう思うのは多分みねさん自身が「強い個人」だからじゃないですか(笑)?

○「感性から出た思想の言葉」なんてロックの歌詞がとっくにやってるんじゃ?

聡)本の中で辻井さんが反戦詩について、「ただ『戦争反対』だの『憲法改正阻止』だのを出しただけでは詩というよりスローガンだよ、もっと生活感覚から出た言葉じゃないとつまらないものになるよ」という主旨の事をおっしゃってましたよね。このくだり読んだ時、正直言って「何だ今の詩の世界ってそんなくだらないレヴェルで低迷してんの?」と思ってしまったんですけど(笑)。だって私の専門のロックの世界ではそんな事当たり前ですからね。今日はその証拠物件をいくつか持ってきてまして(笑)、皆さんに読んで頂きたいんですけど(と言って佐野元春「誰も気にしちゃいない」ブランキージェットシティ「冬のセーター」、ソウルフラワーユニオン「海行かば 山行ば 踊るかばね」、ランディニューマン「DATON, OHIO 1903」の歌詞を参加者に回す)。こんな凄いのが普通にCD屋さんで手軽に手に入るご時勢に、お前ら何やってんの?と詩の世界の人に言いたい(笑)。
紙屋)ただ反戦詩側の立場からすると、「これでは主張としてぬるい、もっと具体的に問われている事について鋭く言わなければ」と思われてるかもしれませんよ。
みね)その辺は表現の仕方とかテクニックにもよると思います。私は山本耀司さんというデザイナーが好きなんですけど、彼が数年前「反戦」というテーマで作ったものは、恐竜のようなフォルムの服を作って、でも柄は迷彩とかで、「戦争を完全に無化した恐竜」というコンセプトで作ってて、凄くカッコ良かったんですよね。そういうアピールの仕方ってかなり知性が要りますよねえ。

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(撮影:みね)

吉田)そもそも詩集とかってそんな買わないじゃないですか、それだけのために。でも音楽とかファッションとかだったら普通にみんな買うし、興味ない人にもアピールする事が出来るし。
聡)ただ「戦争反対」とか普通に書いても、読む人は「ああ分かった分かった、反戦ね」で終わっちまうかもしれないでしょう。そこは工夫が必要ですよね。昔岡本太郎がアメリカの新聞にベトナム戦争反対の広告を出して、「殺すな」って見た奴を殺しそうなテンションの書道を載せてたけど(笑)、あれはただ「殺すな」と活字で書いてもインパクトがない。ああいう字体で日本語の分からない人間に向けて発する事で色んな感情を換気させる仕掛けがある。ああいう事だと思うんですけど。

○「七五の魔」って何だろう

聡)短歌についての話で、小野十三郎さんの言う所の「七五の魔」(日本独特の韻律である「七五」のリズムは批判精神を麻痺させる、という小野の短歌批判)っていうのがピンと来なかったんですよね、感覚的に。どういう意味だと思います?
みね)私は単に、その形式から出られないという事かなと思った。
紙屋)要するに短い節で、日本人にとって心地いいリズムで詠嘆という現状肯定的な感情を歌うというのでは批評精神が成り立たないんじゃないか、という事ではないでしょうか。
聡)その心地いいリズムに違和感ありまくりの言葉を乗せるのも手じゃないかと思うんですけどねえ(笑)。そういうのってロックでは常套手段ですよ。
吉田)音楽を聴いてて、「このリズムにこういう言葉を乗せて、上手いなあ」とかは確かに思いますね。
紙屋)ただ個人的には、自分の気持ちの発露として、散文になったり詩のような言葉になるというのはありますけど、五七五のリズムにそれを託す気持ちにはなれないですけどね。
聡)僕も例えば俳句で言ったら山頭火とか、伝統的な韻律に全くのっとってない方がむしろピンと来ます。
みね)でもこないだTVで「お~いお茶」の俳句募集のニュースをやってたんですけど、過去最高の応募があったらしいですよね。それはちゃんと七五のリズムにのっとって、季語を入れてというものだと思うんですけど、そんなにこのリズムに気持ちを表せる人がいるんだと思ってちょっとびっくりしました。

どうでしたか?全部はとても掲載できませんでしたが、他にも色々面白い話が飛び出しました。
次回の「JIYU-KENKYU」は4/5(日)、12時から今回と同じ場所で行います。
テキストはまだ未定。詳細は後日お知らせします。お楽しみに!

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2009年3月 1日 (日)

JIYU-KENKYU vol.2 終了!

JIYU-KENKYU vol.2が、本日、福岡市美術館、カフェなかむらにおいて、予定よりも30分遅れで始まり、12:30〜14:30に終了しました。テキストは辻井喬『憲法に生かす思想』、新日本出版社、2008年。報告者は、パンクデュオTARJEELINGのボーカル&ギターの聡文三でした。また今回は、なんと漫画評論家でオタクコミュニストの紙屋高雪氏をお迎えすることができました。ご参加して下さったみなさん、どうもありがとうございまいした。議事録は、またのちほど。

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