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2009年4月

2009年4月27日 (月)

僕らの仲間が新しいフリーペーパー「SOUTH POP」を立ち上げました。

 今回は世界激場と直接の関連はないのですが、嬉しいニュースがあったのでお知らせします。
 僕らの仲間、実行委員の吉田晴子がこの度、九州エリアを中心としたインディーニュージックを紹介するフリーペーパー、「SOUTH POP」を立ち上げました。
 ついこないだ記念すべき創刊号が出たばかり。ちなみに特集は、大分在住のシンガーソングライター、アカシモモカさんhttp://harmo.jp/momoka とアカシさんの新しいアルバムのプロデューサー、三沢洋紀さん(letter、LABCRY) http://blue.ap.teacup.com/memomemo のインタヴュウです。

 70年代のパンク時代90年代のストリートで起こった手作り冊子のムーヴメント「ジン・カルチャー」に影響を受けたと吉田発行人の弁。
 九州エリアのみなさんは、是非この生まれたてのFREE MAGを手に戸ってみて下さい!

 SOUTH POP公式サイト http://www.southpop.com

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2009年4月12日 (日)

JIYU-KENKYU vol.4 告知です。次は5月3日(日)。

場所:福岡市美術館(大濠公園内)、2Fカフェ なかむら 
時間:5月3日(日)12:00〜14:00

これまで、辻井喬の作品を通じて、日本の戦前ー戦後の政治思想、文芸、経済など、多岐にわたる分野の変遷を追って来ました。また、それを通じて、2010年の日本という国で生きる上で、何が問題で何をしなければならないのか?参加者のそれぞれが、大なり小なり感じたり考えて来たつもりです。さて、ここで一度辻井作品から離れて、よりダイレクトに日本近現代史にアプローチすることで、今自分たちの生きる時代の意味を相対化させたいと考えました。もちろんガチガチの日本史をやってもいいのですが、お茶を飲みながらの日曜昼の勉強会ですしね、こんな本を今回は選んでみました。

書名:乱歩と東京—1920都市の貌(双葉文庫—日本推理作家協会賞受賞作全集)
 著者:松山 巌
 出版社:双葉社
 定価:600円(税込)


 なお、同書はちくま学芸文庫からも出ています。ただしこちらは現在品切れとの事。

 また、福岡市の図書館でも貸し出し可能です。ご参考まで。

参加ご希望の方は、こちらまでメールを送って下さい。たくさんの方のご参加をお待ちいたします。
sekai_gekijou@yahoo.co.jp

報告者:聡文三

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JIYU-KENKYU vol.3 報告

JIYU-KENKYU議事録 vol.3
JIYU-KENKYU vol.3のテキストは、辻井喬『伝統の創造力』でした。福岡市美術館カフェなかむらにて、4/5(日)12:00〜14:00まで行われました。※毎月、第一日曜日の正午からです。みなさん、お越し下さい。

出席者:漫画評論家の紙屋高雪氏(漫画『資本論』の出版を4月中旬に控え大変お忙しい中、出席していただきました、有り難うございました!)、TUEさん、吉田さん、岩本さん、聡文三みねまいこ、計6名でした。討論の内容の一部を公開いたします。

<読後書後の感想>
TUE:私は伝統=短歌とはすんなりと思えなかった。短歌はいわるゆハイカルチャーなのでは。そもそも五七五なんて、生活から生まれたリズムじゃないと思っています。むしろ地方の芸能、盆踊り、都々逸とか、○○節とか、記憶のレベルでは、私にとってそっちの方が伝統として大きい。
聡:短歌が戦争のときに道具として使われた背景があって、その反動として戦後になって、伝統的なものを全否定しちゃって、衰退しましたという事例として短歌が挙げられていたように思います。もちろん短歌に限らず、こういうことあったと思う。辻井が最初、短歌から始まったというベースがあったから、短歌を事例としていたのではないかと。だから、人によっては伝統=地方の演劇と思う人もいるという話で。
みね:伝統がないところには、新しい創造はない、という主張がなされていたわけですが、戦後は「自由な精神」の名のもとに、とくに現代詩の例がありましたよね、面白い作品を作っても、それが単発で終わる。伝統に根ざしていない作品は短命だし、また次世代の詩人を産むような創造的な土壌も作れない。
紙屋:たとえば、漫画が盛んだけども、それに対して文学って若い人に訴える力があまりないんじゃないかという風にいわれていて。
聡:はい。
Img_0627
中央奥:紙屋高雪、手前右:TUE
(撮影:聡)

紙屋:文学史がすたれていって、文学が衰えていますよーというのが第1章の話で。次の章が、原因は端的にいって、伝統が力がなくなったからからですよーと。だけど、伝統の力って言ってるときに、本文にも出てくる「伝統尊重論者」が言っているような伝統じゃなくて、まあ簡単に言えば「自分がわくわくしたり」「自分が本当に思っているような気持ち」で、民衆が歴史的にずっとつむいできたものじゃないでしょうか。それから離れてしまったから、文学っていうものが衰えていくんだっていうことだと思うんです。最後に「伝統の継承」っていうのをヨーロッパと比較していましたが、
みね:TSエリオットが出てきましたね。
紙屋:本当に伝統の捉え方っていうのは静態的というか、昔あったこういう貴重なものをたとえば能、だとかいうんじゃなくて、日々新しく私たちがこういうことをやりたいとか、こういう風なものがわくわくするとか、そういうものが気持ち的にはしっくりくる。気持ちのベースにある暗いところがあるでしょ、自分の中に。欲望とか。そういうものが伝統の礎となっていて、それを歴史とつなげる努力が一方である。それを踏まえて、創造力、新しく新しく創造していく力が必要なんですよというようなことを、辻井は言っていると思うんです。それがないと、つまり歴史意識がないと、ただ欲望にこたえるだけになってしまう。たとえばそれを街の景観でいえば、渋谷の汚い街みたいになってしまったり。だから自分の欲望と、社会や歴史意識といったものと「自然な形」でつなげることが必要なわけです。社会や歴史意識みたいな大テーマと、個人的なたとえば「私がなぜエロいことを考えるのか?」なんていうことを、どうやったら組み合わせられるのか。実は私自身の抱えている問題意識でもあるのですが、そこを自然な形でつなげたい、と。
TUE:私はジャンプが600万部売れていたときに、読まなくなりました。
紙屋:小さくていいんです。自分のわくわくする気持ちと、社会や歴史がきちんと結びついた作品ができればいいのですけど。そういうものが本当にできているかというと。歌や音楽でしたら、「私」の世界にこもってしまっているのか、それとも「社会派」みたいな音楽として、両者がばらばらにあるのか。もしくは、うまく両者が統一されている感じの音楽があるのかないのか。統一させる必要はないという議論もあるかもしれませんが。
TUE:いろんな人がいる方が面白いんじゃなかと思います。
紙屋:しかし、自分の個別の状況と、社会の状況がつながっていない、つまり「私」の世界にこもってしまったことが結局、文学の衰退につながるんじゃないかと、この人(辻井)は言ってるわけです。
Img_0624
(右:紙屋高雪、中央:吉田、左:岩本、手前:みね)
(撮影:聡)

<文学と伝統を、音楽に読み変えると>
聡:私はロックしかわからん人間なので(笑)、音楽の話しでこの伝統という問題を考えたときにですね。黒人音楽は、農作業のときの歌から、ブルースになって、その後いろいろなジャンルに分化されていきますよね。ジャズになったり、電気楽器が入ってロックになってでもベースにあるのは、ブルースなんですよ。それはある意味、伝統に対して固執する考え方でもあったわけです。たとえばジミ−・ヘンドリックス、もともと彼はブルースで、でも、もうむちゃくちゃなことをやりますよね、いろいろなものを取り入れて。でも根柢にあるのはブルース。そういう距離の取り方ができないのか?って思うんです。われわれが。今だって商品化されていないコアなヒップホップとか、非常にコンテンポラリーな音作りをしている人の中には、まったくブルースの感じがないか?といえば実はそうじゃない。ちゃんとブルースが入っている。アウトキャストのこの間のアルバムとかね。
吉田:どのくらいの時期の影響がみられましたか?
聡:1920年代の感じだったと思います。他にいちばんわかりやすい例をいえば、ベックとか。彼はヒップホップが10代の頃あって、さらにブルースのコレクターになって、周りにもちゃんとそういう人間がいたんだと思うんですけど、まさに伝統が彼の生活感覚としてあった中で、それを自分の中で融合させて、新しい音楽を作った。それが日本の文学でやれるのか、やれないのか?ってことだと思うんです。
TUE:生活感覚。(福岡県の)大牟田市なんかを歩くと、伝統と言う意味ではすごいですよ、炭坑で栄えた町の跡地。
聡:自分達がつながっている感じの、いわばリアリズムのある伝統だよね。一方で、教育改革国民会議が言っている伝統っていうのは、いわゆる門司港レトロ的なレベルものじゃないんですか。
吉田:門司港レトロ地区を、私は伝統とは思いませんが。
聡:門司港レトロ地区を見て、伝統を感じるかといえば、作られたものですしね。すごくざっくり言えば、教育改革国民会議は、門司港レトロ地区みたいなものを、自分達の伝統だと思っている。

<伝統を守るとはどういうことか?>
TUE:伝統を守ろうとして、逆に壊していることはある。たとえば博多弁を残そうとしたとしますよね。しかし博多弁でも地区によってまったく違うわけで、でもひとつの地区の博多弁を唯一の博多弁として次世代に伝えるようなことが起きる。他の地区の博多弁は失われるわけですよ。あとは、伝統というものは保存した時点で、伝統が死んでしまうってことはよくある。
岩本:芸能にせよ、文学にせよ、変わりなく現代に伝わることはないでしょうし、だけどこんな短歌があるんだってということは人から人に伝えられているから、現在の僕らがわかる。つまり、最終的には、受け取る側の問題なんじゃないかと思うんですよね。伝統をある時点で保存するってことは、写真でその瞬間を記録するってことでしょう。それが博物館やなんかに置かれて、でもそれは見る側がどのように受け止めるかってことこそが大事なんであって。だから伝統が死ぬとか、壊してしまうとか、そんな風に考えなくてもいいんじゃないんでしょうか。

<感性の問題>
聡:辻井が「感性から伝統と思想が育つ」ということを言っていましたが、この感性がくせものです。感性というのは、放っておいたらどんどん狭くなる。むしろ自分の感性を疑うことが、最大に感性を育てることなのかも。自分の感性を疑って、感性を広げていくというのは、じつはずっと世界激場のテーマだったりもするわけなんですが。
吉田:感性が狭くなっても、普通に生活している分にはそれでも生きられますよね。逆に、何かを表現するタイプの人がもし感性が狭くなるとまずいという話だということではありませんか?
聡:普通の人もやばいですよ。極端な話、会社の偽装問題とか。社会という視点が抜けちゃってて、ほっとくと会社だけで共有される感性になってしまう。ある人が書いてたんですけど、「社会に出る」はずなのに「会社に入る」と表現するのはどうしてなのか?と(笑)。
TUE:会社と家の往復だけで何十年過ごすというのは、全寮制の学校にずっと入ったようなもんかもしれませんね。ところでサラリーマンって、なんで野球の話しかしないんだろう。どうせ野球の話をするならもっと専門的な話、熱弁を振るえばゆるせるけど、
岩本:別に野球の話しをしてもいいじゃないですか。
TUE:大人のするパブリックな話、共通の話題が、野球って、ちょっとゆるせません。
岩本:何を話したって別にいいじゃないですか。
みね:んーさて、そろそろ時間となりました。出席ありがとうございました。次回は、辻井のテキストから一度離れて、日本の近現代史に関連する本か、それに近い本を読んで、自分達の生きている時代を相対化してみたいと思います。

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2009年4月 7日 (火)

JIYU-KENKYU vol.3終了!

4/5(日)、第3回目のJIYU-KENKYUが終了しました!そのときの内容など、報告は後日いたします。お楽しみに!

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