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2009年5月

2009年5月 6日 (水)

JIYU-KENKYU第4回の議事録、アップしました!

 5/3(日)、12時より福岡市美術館2Fの「カフェテラスなかむら」にて、「JIYU-KENKYU」の第4回が開催されました。
 参加者は、佐藤直樹さん、円盤人さん、PINKYさん、TUEさん、吉田晴子さんみねまいこ聡文三の7名。テキストは、松山巌著 「乱歩と東京 1920都市の貌」(双葉文庫、1999年)。
 予告したとおり、あえて変化球で望んだ今回、議論も中々変化球な感じが炸裂してた気が…。

May1

○現代における乱歩のイメージって?
聡)まず、今回何故江戸川乱歩の評論を取り上げたのか理由を述べさせて下さい。
一つは、本書は乱歩が活躍した1920年代の日本、特に東京が近代都市としての体裁をなしていって、その近代的なるものと従来の価値観との間で色んな矛盾が起こり始めた頃に焦点を当てているのですが、その時代に起こった問題は現在の都市が抱えている問題と通じるというか、現在の都市の問題が最初に始まった時代ではないか、だからこの時代を知る事は現代を知る事にも通じるのでは?と思ったからです。
もう一つの理由としては、江戸川乱歩に関する他の評論というのは、日本の探偵小説の先駆者としての評価や、もしくは乱歩のエロ・グロ・ナンセンス的な側面を取り上げ現代人の内面を考察したようなものが多いのですが、本書では乱歩が―本人は必ずしも自覚していたわけではありませんが―当時の社会状況をどう反映していたか、時代の変化というものを鋭く写していたかという視点で書かれていて、そこが面白いと思いました。で、まず皆さんには、江戸川乱歩と聞いてイメージするものをまず語っていただきたいのですが。

佐藤)僕はほとんど読んでいないですね。子供の頃に「少年探偵団シリーズ」を読んだくらいです。

吉田)私も同じですね。

みね)少年探偵団シリーズは小学校の図書室にあったから全巻読みましたけどね。で、イメージとしては「おどろおどろしい」(笑)。普通の推理小説と違って驚かせ方が理詰めじゃなくて怪談的というか。

佐藤)江戸川乱歩という筆名はエドガー・アラン・ポーのもじりですよね。元のポーというのはどのくらいの時代の人ですか。

円盤人)19世紀半ばくらいですね。世界最初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」が書かれたのが確か1840年代だったと思います(編集者註;1841年)。

吉田)少年探偵団シリーズは、何となく仮面ライダーみたいなヒーローものと同じようなイメージがありました。他の推理小説みたいな、謎解きの面白さと言うのはあまり感じませんでしたね。

TUE)本人はすごくミステリーが書きたかったんでしょうけど、体質的に違うものが出てきちゃって、それが売れちゃってそっちに引きずられていった、みたいな感じではないかと。菊池秀行みたいな(笑)。

PINKY)実は私、乱歩って読んだ事ないんです(笑)。でも明智小五郎という探偵が出るし、推理小説の人かと思ってましたけど、本書を読んでみると後半の方は結構怖い話も書いてるみたいなので、本当はどっちの人なんだろう?みたいな。

May2

○近代と前近代の狭間で
聡)皆さんのイメージ聞いてると、「おどろおどろしい」「怖い」と言うイメージが多勢をしめるんですけど(笑)、1923年に彼が「二銭銅貨」という小説でデビューした際は非常に論理的な探偵小説をかいてるわけです。ただ、初期は非常に論理的な謎解きを書いていた乱歩ですが、段々メッキの地金がはがれるように(笑)怪奇的な資質が現れてきます。

円盤人)大正15年辺りから、段々トリックのネタが尽きてくる(笑)。

聡)で、その時代がちょうど社会とか都市文化が変わってくる頃で。家制度が崩れ始めて、田舎の次男三男がお金を稼ぐために故郷から離れて都市に出てきて。で、そこで今の都市における諸問題が露になってくる。その動きと、乱歩が変わっていく動きとがシンクロしてるんですよね。それと併行して、メディアが興隆して大衆文化が非常に花開いてく。そういう流れに乱歩も乗るわけですが、毎回連載をするにあたっては理知的な探偵小説というのは合わないんです。チャンバラ小説的になっていく。

円盤人)サスペンスとミステリーの違いですね。ミステリーと言うのは過去の事件を検証する文学なので、構造上必ず解決しなければならず、閉じた方向に向かってしまう。比べてサスペンスと言うのは、「次どうなるんだ?」という事で引っ張れますから、長編に向いている。ミステリーの世界でも長編が書かれるようになったのは大分後の方なんです。で、1920年代は世界的にミステリーの黄金時代なんですが、乱歩も一応その流れには乗っている。ですが、どう日本的な設定でそれを書くかというのはかなり苦心したみたいです。例えば当時の日本家屋の構造では密室殺人が成立しないので、書くのは不可能と言われていましたから。戦後になると横溝正史などが台頭してきて、乱歩自体の探偵小説作家としての才能は一種終わってしまい、通俗スリラーもの、または少年探偵団シリーズのイメージが定着していきます。だからさっき出た、少年探偵団もの=ヒーローものというイメージはある意味正しいんです(笑)。

聡)すみません、最後の所だけもうちょっと詳しく説明していただけますか?

円盤人)子供の頃の印象として、少年探偵団シリーズが割と身近な印象だったんですよね。周りに出てくるような人物がいなかったにも拘らず。で、それは同時期に見ていた、仮面ライダーとかウルトラマンと同じような感覚ではないかと。子供時代はそうしたものをある種本能的に「見せもの」と分かってて見てたと思うんです。その「見せもの感覚」が共通するのではないかと思います。元々仮面ライダーもウルトラマンも、SFやホラーの流れから来てますし。

吉田)じゃあ乱歩はそういったヒーローもののルーツみたいな感じなんですか?

円盤人)まあそうですね。ただ乱歩の前にも黒岩涙香という、「ああ無常」や「岩窟王」を翻訳しいていた明治の大作家がいて、その人の影響を乱歩は受けているので、怪奇小説の系譜と言うとそこからの流れなんでしょうけど。

佐藤)探偵小説は日本に「モダン」として入ってきた、とありますが、日本社会は基本的にずっとモダンではなかったと僕は思っています。乱歩自身も後の方になると、その「モダン」ではない、「前近代」の要素が出てくるわけですよね、例えば「芋虫」とか。それは自分が本来持っているものへの回帰であったんだろうと思います。そこで壁に突き当たった所もあるのではないでしょうか。

May5

円盤人)乱歩が「二銭銅貨」でデビューした際、掲載された雑誌「新青年」は翻訳ものの探偵小説を載せていましたが、日本の創作を掲載する予定はなかったそうなんです。ただ「二銭銅貨」があまりにも出来がよく、特別に掲載となった。例えて言うなら、向こうのスタイルのいいモデルでしか似合わないような服をスッと着こなしている、これならアメリカデビューしても売れるぞ、みたいな(笑)。

佐藤)学問の世界では当時の雑誌と同じような事を未だにやってるわけ。僕は法律をやってるんだけど、向こうから(理論を)輸入してきて、ヨコのものをタテにして、「向こうではこういう議論をやってますよ」みたいな感じで、「自前のものとして上手く着こなす」事は未だにできていない。それ考えたらすごい人だよね、乱歩って。

円盤人)ただ松山さんの議論では、そういう(上手く着こなす)事を許す土壌も出来てきてた、って感じですよね。

聡)さっきの密室云々の話で言えば、本文にも「屋根裏の散歩者」で鍵をかけられる部屋と、プライバシーがこの頃誕生してきた、とあります。そういう意味では確かにそうだと思います。ただ、最初から密室がデフォルトとしてある西洋とはまた違うとも思います。違うから外面的な自分と内面的な自分、または他者とのギャップで屋根裏に登って他人の私生活の透き見をするようになるし、第一屋根裏があって、天井に節穴がある時点で西洋の密室じゃない(笑)。近代的なものが入ってきて、でもそれに馴染めないものがあって、そこのフリクションみたいなものがああいったところに出ていると思います。で、乱歩の作品自体がそういうフリクションを元に生まれたものが多いのではないかと。

○江戸川乱歩は「反」何なのか
聡)「芋虫」が発表された当時、戦争で手足を失った軍人を題材にしたという理由で当時のプロレタリア文学界から高く評価され、また当局から発禁になっているわけですが、乱歩がこれに答えて言うには、違うんだよと。自分は苦痛と快楽と惨劇を書きたかっただけだ、と言っています。こういう事からも分かるように、乱歩は自分の作品と社会の関わりというのに関心があった人ではありませんが、体質としてどうしようもなく出てしまうんですよね、反社会と言うか・・・。

佐藤)反近代?

TUE)反人間じゃないですかね。

聡)割と社会体制とかはどうでもいい人ですからね。ただ体制に対してあからさまにアンチとか言う人ではないんですが、存在自体がアンチと言うか、世の在り様を鏡のように映し出して図らずもそれにNOを突きつけてしまう所があると思うんですよね。

円盤人)でも表現をする人って、自分が全然意図してない所で褒められたりする事ってあると思うんですけど、多分「芋虫」の評価ってそういう所だったのではと。

○乱歩初心者は乱歩をどう見たか
聡)えー、おっさん4人ばっかり喋っててもしょうがないので(笑)、他の人にも話を振りたいと思います。本書を読んでみて、これは今の社会にも通じるなあと思ったところとかはありますか?

PINKY)3章の「性の解放、抑圧の性」の所を読んで、「乱歩って凄い変態くさい人だなあ」とは思った(笑)。妄想の方が凄そうで、今で言うならアダルトヴィデオとか逆に観れない人、みたいな。

May3

聡)性に関してはどうか知りませんが、犯罪に関してはそういう所があるかもしれない。実際の犯罪行為には興味がないという。割と常識人としての一面もありますから。

PINKY)でもそんなまともな人がこんな事思ってたんだと思うと逆に怖くないですか?どんな面の皮だよ!みたいな(笑)。

みね)今日話してた、西欧的な学問がバリバリ出来る乱歩が自分の作品の中にプレモダン的な要素が出てきてしまう、というのは恐らく日本だけの問題ではないような気がします。私が今研究している、TONI MORRISONというアメリカの黒人女性作家なんかも、トップレヴェルの教育を受けてる人なんですけど、書いている小説はルーツであるアフリカ的な世界観が―死者が生きてる人間と暮らしたりとか―全面的に出てくる。で、彼女は近代的なものとの葛藤の中でプレモダン的な要素を前面に出す事によってノーベル賞を取ったんです。私も日本で生きてて西洋とぶつかって何を造るかと考えた時に、自分の中のプレモダン的な要素を考えなきゃいけないと思っていたので、乱歩にも同じような事があると思ったので凄く身近に思えてきました。

聡)ただ乱歩は必ずしもそこに自覚的だったわけではないので、そこが偉大っちゃあ偉大だし、悲劇といえば悲劇とも言えますけどね。

吉田)1章の所で「幼なじみと久し振りに再会してもそんなに盛り上がらないよ」という趣旨の事が書いてありましたけど、「D坂の殺人事件」でそういう話に繋がる事が押し付けがましくもなくさらっと書いてあって(註;被害者の幼なじみであるという理由で殺人の嫌疑をかけられた明智小五郎が「小学校に上がる前に別れたきりの幼なじみに、私が抱く特別な感情などない」という趣旨の発言をするくだり)、そういう所がいいなあと思いました。

聡)でも「D坂」からここのくだりを引っ張ってくる松山さんって凄いよね。普通こういう所はスルーする箇所なんですよ。

さてさて今回はこの辺で。面白かったですか?皆さんのコメントをお待ちしています。
ここでお知らせ。毎月1回のペースでやってきたJIYU-KENKYUですが、来月は1回お休みします。
ですので、次回は7/5(日)、12時からとなります。テキストはまだ未定。詳細は後日お知らせします。お楽しみに!

参考文献
・江戸川乱歩―評論と研究/中島河太郎編 (講談社 1980年)
・江戸川乱歩ワンダーランド/中島河太郎責任編集 (沖積舎 1989年)
・コロナブックス 江戸川乱歩 (平凡社 1998年)

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2009年5月 4日 (月)

JIYU-KENKYU第4回終了しました!&来月はお休みします。

 昨日5/3(日)、世界激場プレ勉強会「JIYU-KENKYU」の第4回が無事終了いたしました。
 参加頂いた皆様、有難うございました!

 今回は「乱歩と東京 1920都市の貌」という、今までの流れからちょっと外れたテキストを選びましたが、中々濃いディスカッションが繰り広げられました。
 その模様は後日公式ブログhttp://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/blog/にアップします。お楽しみに!

 それと、毎月1回のペースで行っているJIYU-KENKYUですが、来月(6月)はお休みいたします。
 なので、次回は7/3(日)、12時からとなります。場所は同じ福岡市美術館2F「カフェテラスなかむら」です。テキスト等詳細が決まったらまたお知らせします。

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