文化・芸術

2009年4月12日 (日)

JIYU-KENKYU vol.3 報告

JIYU-KENKYU議事録 vol.3
JIYU-KENKYU vol.3のテキストは、辻井喬『伝統の創造力』でした。福岡市美術館カフェなかむらにて、4/5(日)12:00〜14:00まで行われました。※毎月、第一日曜日の正午からです。みなさん、お越し下さい。

出席者:漫画評論家の紙屋高雪氏(漫画『資本論』の出版を4月中旬に控え大変お忙しい中、出席していただきました、有り難うございました!)、TUEさん、吉田さん、岩本さん、聡文三みねまいこ、計6名でした。討論の内容の一部を公開いたします。

<読後書後の感想>
TUE:私は伝統=短歌とはすんなりと思えなかった。短歌はいわるゆハイカルチャーなのでは。そもそも五七五なんて、生活から生まれたリズムじゃないと思っています。むしろ地方の芸能、盆踊り、都々逸とか、○○節とか、記憶のレベルでは、私にとってそっちの方が伝統として大きい。
聡:短歌が戦争のときに道具として使われた背景があって、その反動として戦後になって、伝統的なものを全否定しちゃって、衰退しましたという事例として短歌が挙げられていたように思います。もちろん短歌に限らず、こういうことあったと思う。辻井が最初、短歌から始まったというベースがあったから、短歌を事例としていたのではないかと。だから、人によっては伝統=地方の演劇と思う人もいるという話で。
みね:伝統がないところには、新しい創造はない、という主張がなされていたわけですが、戦後は「自由な精神」の名のもとに、とくに現代詩の例がありましたよね、面白い作品を作っても、それが単発で終わる。伝統に根ざしていない作品は短命だし、また次世代の詩人を産むような創造的な土壌も作れない。
紙屋:たとえば、漫画が盛んだけども、それに対して文学って若い人に訴える力があまりないんじゃないかという風にいわれていて。
聡:はい。
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中央奥:紙屋高雪、手前右:TUE
(撮影:聡)

紙屋:文学史がすたれていって、文学が衰えていますよーというのが第1章の話で。次の章が、原因は端的にいって、伝統が力がなくなったからからですよーと。だけど、伝統の力って言ってるときに、本文にも出てくる「伝統尊重論者」が言っているような伝統じゃなくて、まあ簡単に言えば「自分がわくわくしたり」「自分が本当に思っているような気持ち」で、民衆が歴史的にずっとつむいできたものじゃないでしょうか。それから離れてしまったから、文学っていうものが衰えていくんだっていうことだと思うんです。最後に「伝統の継承」っていうのをヨーロッパと比較していましたが、
みね:TSエリオットが出てきましたね。
紙屋:本当に伝統の捉え方っていうのは静態的というか、昔あったこういう貴重なものをたとえば能、だとかいうんじゃなくて、日々新しく私たちがこういうことをやりたいとか、こういう風なものがわくわくするとか、そういうものが気持ち的にはしっくりくる。気持ちのベースにある暗いところがあるでしょ、自分の中に。欲望とか。そういうものが伝統の礎となっていて、それを歴史とつなげる努力が一方である。それを踏まえて、創造力、新しく新しく創造していく力が必要なんですよというようなことを、辻井は言っていると思うんです。それがないと、つまり歴史意識がないと、ただ欲望にこたえるだけになってしまう。たとえばそれを街の景観でいえば、渋谷の汚い街みたいになってしまったり。だから自分の欲望と、社会や歴史意識といったものと「自然な形」でつなげることが必要なわけです。社会や歴史意識みたいな大テーマと、個人的なたとえば「私がなぜエロいことを考えるのか?」なんていうことを、どうやったら組み合わせられるのか。実は私自身の抱えている問題意識でもあるのですが、そこを自然な形でつなげたい、と。
TUE:私はジャンプが600万部売れていたときに、読まなくなりました。
紙屋:小さくていいんです。自分のわくわくする気持ちと、社会や歴史がきちんと結びついた作品ができればいいのですけど。そういうものが本当にできているかというと。歌や音楽でしたら、「私」の世界にこもってしまっているのか、それとも「社会派」みたいな音楽として、両者がばらばらにあるのか。もしくは、うまく両者が統一されている感じの音楽があるのかないのか。統一させる必要はないという議論もあるかもしれませんが。
TUE:いろんな人がいる方が面白いんじゃなかと思います。
紙屋:しかし、自分の個別の状況と、社会の状況がつながっていない、つまり「私」の世界にこもってしまったことが結局、文学の衰退につながるんじゃないかと、この人(辻井)は言ってるわけです。
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(右:紙屋高雪、中央:吉田、左:岩本、手前:みね)
(撮影:聡)

<文学と伝統を、音楽に読み変えると>
聡:私はロックしかわからん人間なので(笑)、音楽の話しでこの伝統という問題を考えたときにですね。黒人音楽は、農作業のときの歌から、ブルースになって、その後いろいろなジャンルに分化されていきますよね。ジャズになったり、電気楽器が入ってロックになってでもベースにあるのは、ブルースなんですよ。それはある意味、伝統に対して固執する考え方でもあったわけです。たとえばジミ−・ヘンドリックス、もともと彼はブルースで、でも、もうむちゃくちゃなことをやりますよね、いろいろなものを取り入れて。でも根柢にあるのはブルース。そういう距離の取り方ができないのか?って思うんです。われわれが。今だって商品化されていないコアなヒップホップとか、非常にコンテンポラリーな音作りをしている人の中には、まったくブルースの感じがないか?といえば実はそうじゃない。ちゃんとブルースが入っている。アウトキャストのこの間のアルバムとかね。
吉田:どのくらいの時期の影響がみられましたか?
聡:1920年代の感じだったと思います。他にいちばんわかりやすい例をいえば、ベックとか。彼はヒップホップが10代の頃あって、さらにブルースのコレクターになって、周りにもちゃんとそういう人間がいたんだと思うんですけど、まさに伝統が彼の生活感覚としてあった中で、それを自分の中で融合させて、新しい音楽を作った。それが日本の文学でやれるのか、やれないのか?ってことだと思うんです。
TUE:生活感覚。(福岡県の)大牟田市なんかを歩くと、伝統と言う意味ではすごいですよ、炭坑で栄えた町の跡地。
聡:自分達がつながっている感じの、いわばリアリズムのある伝統だよね。一方で、教育改革国民会議が言っている伝統っていうのは、いわゆる門司港レトロ的なレベルものじゃないんですか。
吉田:門司港レトロ地区を、私は伝統とは思いませんが。
聡:門司港レトロ地区を見て、伝統を感じるかといえば、作られたものですしね。すごくざっくり言えば、教育改革国民会議は、門司港レトロ地区みたいなものを、自分達の伝統だと思っている。

<伝統を守るとはどういうことか?>
TUE:伝統を守ろうとして、逆に壊していることはある。たとえば博多弁を残そうとしたとしますよね。しかし博多弁でも地区によってまったく違うわけで、でもひとつの地区の博多弁を唯一の博多弁として次世代に伝えるようなことが起きる。他の地区の博多弁は失われるわけですよ。あとは、伝統というものは保存した時点で、伝統が死んでしまうってことはよくある。
岩本:芸能にせよ、文学にせよ、変わりなく現代に伝わることはないでしょうし、だけどこんな短歌があるんだってということは人から人に伝えられているから、現在の僕らがわかる。つまり、最終的には、受け取る側の問題なんじゃないかと思うんですよね。伝統をある時点で保存するってことは、写真でその瞬間を記録するってことでしょう。それが博物館やなんかに置かれて、でもそれは見る側がどのように受け止めるかってことこそが大事なんであって。だから伝統が死ぬとか、壊してしまうとか、そんな風に考えなくてもいいんじゃないんでしょうか。

<感性の問題>
聡:辻井が「感性から伝統と思想が育つ」ということを言っていましたが、この感性がくせものです。感性というのは、放っておいたらどんどん狭くなる。むしろ自分の感性を疑うことが、最大に感性を育てることなのかも。自分の感性を疑って、感性を広げていくというのは、じつはずっと世界激場のテーマだったりもするわけなんですが。
吉田:感性が狭くなっても、普通に生活している分にはそれでも生きられますよね。逆に、何かを表現するタイプの人がもし感性が狭くなるとまずいという話だということではありませんか?
聡:普通の人もやばいですよ。極端な話、会社の偽装問題とか。社会という視点が抜けちゃってて、ほっとくと会社だけで共有される感性になってしまう。ある人が書いてたんですけど、「社会に出る」はずなのに「会社に入る」と表現するのはどうしてなのか?と(笑)。
TUE:会社と家の往復だけで何十年過ごすというのは、全寮制の学校にずっと入ったようなもんかもしれませんね。ところでサラリーマンって、なんで野球の話しかしないんだろう。どうせ野球の話をするならもっと専門的な話、熱弁を振るえばゆるせるけど、
岩本:別に野球の話しをしてもいいじゃないですか。
TUE:大人のするパブリックな話、共通の話題が、野球って、ちょっとゆるせません。
岩本:何を話したって別にいいじゃないですか。
みね:んーさて、そろそろ時間となりました。出席ありがとうございました。次回は、辻井のテキストから一度離れて、日本の近現代史に関連する本か、それに近い本を読んで、自分達の生きている時代を相対化してみたいと思います。

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2009年3月 2日 (月)

JIYU-KENKYU vol2 終了しました&報告

3/1、12時半より福岡市美術館2Fの「カフェテラスなかむら」にて、「JIYU-KENKYU」の第二回が開催されました。
参加者は、紙屋高雪(そう、「世界激場」第1回でトークセッションをしてくれた方です)、吉田晴子、みねまいこ聡文三の4名。テキストは、辻井喬著 「憲法に生かす思想の言葉」(新日本出版、2008年)。当日の議論はこんな感じでした。

○基本となる4つのテーマ

聡)今回のテキスト「憲法に生かす思想の言葉」についての個人的な感想をまず述べさせていただきます。この本は講演集ということで、色々な場所で喋った事が収められているわけですが、同じ事柄を繰り返し喋ってる所もあると思います。で、そのテーマ、この本で作者が言いたい事を煎じ詰めたら、①「感性から出た思想」で語れ②既成概念を疑え③「伝統」(=過去の遺産)をきちんと見極めよ④「敵」の立場に立つ想像力を持て に集約されて、あとは憲法の問題に絡めてだとか、文学の抱えてる問題だとか、実際にそういう事を実践していた宮本百合子さんについての話だとか、各論の話になっちゃうんじゃないかと思いました。で、まずみなさんがこの本にどういう感想を持ったのかをまず伺いたいと思います。
みね)敵の立場に立つ想像力、相手に理解される言葉で語ろうというのは、とても必要な事だと思いますが、実際には非常に難しい事だろうなあと思います。やっぱりどうやったって話の合わない人はいるし(笑)。
聡)まあ辻井さんにしたって、改憲派の主張に対して反論している箇所があるわけですが、それは相手の立場に立ってのものだけどこれで説得されない人もいるのはいるでしょうね。ま、でも姿勢の問題として、こういう態度で臨めというのが大事なんじゃないかと。
紙屋)4つの項目のうち、①「感性から出た思想」で語れ、というのが一番自分にとっては重要でした。それは自分が追求している事―「オタク」としての感性で語る言葉と、「サヨク」として社会や政治を語る言葉をいかに統一させるか、と基本的に同じだからです。先日私の関わっている『ロスジェネ』誌の編集長の浅尾大輔が吉本隆明と「RONZA」誌で対談してて、吉本氏は「そういう事は出来っこないし、そういう統一のさせ方こそがファシズムです」という主旨の事を語っていました。辻井さんは吉本さんと同世代ですが、感覚的には辻井さんの考え方の方が私にはピッタリ合いますね。

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(撮影:みね)

吉田)吉本さんに関しては、去年久し振りに講演をやったというTV番組を観ていて、「日本が戦争に負けて、今まで信じていたものが一気に崩壊して、それでマルクスの「資本論」とかを読み漁った」みたいな事を語ってた時に、全然なぜそうなるのか分かんなかったんですよね。でも、当時の人達にとっては社会主義的な考え方はすごく信じられるものだったし、言い方変ですけど「カッコいい」ものだったんだろうな、というのは何となく分かりますね。私個人は政治の事とか全くわからないし、社会主義×資本主義と言われても?という感じだったんですけど。
みね)いや、吉田さんの感覚の方が普通だと思いますよ?うち等の方がむしろおかしい(笑)。

○伝統重視という感性、伝統否定という感性

聡)僕はこの本のことを自分の問題として捉えている所もあって。というのはやっぱり歌を作って歌う事をしているわけで、「感性から出た言葉じゃないといけない」とかいうのは自分が曲を作る際にも跳ね返ってくる事だから。ただ、「感性が重要」といいますけど、僕はそこにも疑いがあって。例えば、伝統の扱われ方にしても、僕たちは「伝統否定」がデフォルトになって早何十年と言う時に生まれたわけで、そういう人の「感性から出た思想」が伝統否定的になる事も有り得るでしょう。「何か知らねえけど伝統ダセエよ」みたいな。辻井さんはそういう人達の事をどう見るんだろう?
みね)どうだろう、むしろ最近は伝統に対して肯定的な人が多いような気がするなあ。最近のラップの歌詞とか見ると、両親に感謝するようなフレーズが多かったり。なんだか寒気が走るんですけど(笑)。あと国会議員とかの世襲制にしても割とみんな寛容だし、「地元の仲間とずっとつるんで」的なローカリティが若い人達の間で重視されてるような気がするし。
紙屋)確かに、漫画の設定などを見ても「地元の生活圏が自分を支えてる」と言うような考え方って若い人達の間では増えてる気がしますね。でもそれってみねさんは何が嫌なんですか?
みね)それって結局、地元の限られた仲間内の間で恋愛したの結婚したのって人間関係が変遷していくだけでしょう?ああいうのダメですねー。個人的な問題かもしれないけど。
紙屋)吉田さんとかはそういうのってどう思います?
吉田)私もそれはイヤですねー。知ってる人の回りだけではすませたくない。ただ、「地元を捨てて東京に行かなきゃ新しい連れが手に入らない」と言うのもイヤなんですよ。福岡にいると、地域的だけどここに東京とか、色んな所から人がやってくると言う事もあるから。
紙屋)でもフランス革命とかでも、最初理性を重視した社会を目指そうとしたけど、その後伝統の中にある知恵を見直そうという保守主義が台頭したわけで。最近の共産党の運動とかでも、地元の保守勢力と手を結んで新自由主義的な大規模店舗の進出を阻止しようという事をやったりしてるわけです。だから伝統を重視すると言うのは結構大事な事なんじゃないかなと僕は思います。
聡)ただ最近はさすがに減りましたが、「伝統的な価値観」ってかつてはかなりの強制力がありましたよね。個人主義的な価値観と伝統的な価値観がどっちも「それもありだよね」みたいな感じで共存出来るといいですけど、現実にはまだやっぱりそうでもなくないですか?
紙屋)確かにそうですが、「昔ほどでもなくなってきている」というのはそれだけでも進歩ではないかと思います。
みね)確かに寛容になってるとは思いますけど、若い人達の間で「伝統的な生き方」に自ら進んで殉じてる一種の「元気のなさ」がムカつくというか(笑)。
紙屋)でも今の社会では「個人で強く生きなきゃいけない」というメッセージが強く発せられているじゃないですか。そういう中で生きてる若い子にとっては、互いに依存し合える関係性というのが心地いいわけですよ。
聡)みねさんがそう思うのは多分みねさん自身が「強い個人」だからじゃないですか(笑)?

○「感性から出た思想の言葉」なんてロックの歌詞がとっくにやってるんじゃ?

聡)本の中で辻井さんが反戦詩について、「ただ『戦争反対』だの『憲法改正阻止』だのを出しただけでは詩というよりスローガンだよ、もっと生活感覚から出た言葉じゃないとつまらないものになるよ」という主旨の事をおっしゃってましたよね。このくだり読んだ時、正直言って「何だ今の詩の世界ってそんなくだらないレヴェルで低迷してんの?」と思ってしまったんですけど(笑)。だって私の専門のロックの世界ではそんな事当たり前ですからね。今日はその証拠物件をいくつか持ってきてまして(笑)、皆さんに読んで頂きたいんですけど(と言って佐野元春「誰も気にしちゃいない」ブランキージェットシティ「冬のセーター」、ソウルフラワーユニオン「海行かば 山行ば 踊るかばね」、ランディニューマン「DATON, OHIO 1903」の歌詞を参加者に回す)。こんな凄いのが普通にCD屋さんで手軽に手に入るご時勢に、お前ら何やってんの?と詩の世界の人に言いたい(笑)。
紙屋)ただ反戦詩側の立場からすると、「これでは主張としてぬるい、もっと具体的に問われている事について鋭く言わなければ」と思われてるかもしれませんよ。
みね)その辺は表現の仕方とかテクニックにもよると思います。私は山本耀司さんというデザイナーが好きなんですけど、彼が数年前「反戦」というテーマで作ったものは、恐竜のようなフォルムの服を作って、でも柄は迷彩とかで、「戦争を完全に無化した恐竜」というコンセプトで作ってて、凄くカッコ良かったんですよね。そういうアピールの仕方ってかなり知性が要りますよねえ。

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(撮影:みね)

吉田)そもそも詩集とかってそんな買わないじゃないですか、それだけのために。でも音楽とかファッションとかだったら普通にみんな買うし、興味ない人にもアピールする事が出来るし。
聡)ただ「戦争反対」とか普通に書いても、読む人は「ああ分かった分かった、反戦ね」で終わっちまうかもしれないでしょう。そこは工夫が必要ですよね。昔岡本太郎がアメリカの新聞にベトナム戦争反対の広告を出して、「殺すな」って見た奴を殺しそうなテンションの書道を載せてたけど(笑)、あれはただ「殺すな」と活字で書いてもインパクトがない。ああいう字体で日本語の分からない人間に向けて発する事で色んな感情を換気させる仕掛けがある。ああいう事だと思うんですけど。

○「七五の魔」って何だろう

聡)短歌についての話で、小野十三郎さんの言う所の「七五の魔」(日本独特の韻律である「七五」のリズムは批判精神を麻痺させる、という小野の短歌批判)っていうのがピンと来なかったんですよね、感覚的に。どういう意味だと思います?
みね)私は単に、その形式から出られないという事かなと思った。
紙屋)要するに短い節で、日本人にとって心地いいリズムで詠嘆という現状肯定的な感情を歌うというのでは批評精神が成り立たないんじゃないか、という事ではないでしょうか。
聡)その心地いいリズムに違和感ありまくりの言葉を乗せるのも手じゃないかと思うんですけどねえ(笑)。そういうのってロックでは常套手段ですよ。
吉田)音楽を聴いてて、「このリズムにこういう言葉を乗せて、上手いなあ」とかは確かに思いますね。
紙屋)ただ個人的には、自分の気持ちの発露として、散文になったり詩のような言葉になるというのはありますけど、五七五のリズムにそれを託す気持ちにはなれないですけどね。
聡)僕も例えば俳句で言ったら山頭火とか、伝統的な韻律に全くのっとってない方がむしろピンと来ます。
みね)でもこないだTVで「お~いお茶」の俳句募集のニュースをやってたんですけど、過去最高の応募があったらしいですよね。それはちゃんと七五のリズムにのっとって、季語を入れてというものだと思うんですけど、そんなにこのリズムに気持ちを表せる人がいるんだと思ってちょっとびっくりしました。

どうでしたか?全部はとても掲載できませんでしたが、他にも色々面白い話が飛び出しました。
次回の「JIYU-KENKYU」は4/5(日)、12時から今回と同じ場所で行います。
テキストはまだ未定。詳細は後日お知らせします。お楽しみに!

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2009年2月25日 (水)

JIYU-KENKYU vol.2 予告

「JIYU-KENKYU」予告
2009年3月1日(日)12:00〜(2時間)
@福岡市美術館 カフェなかむら

テキスト辻井喬『憲法に生かす思想』、新日本出版社、2008年。
報告者:聡文三(予定)
本を事前に読んでいただければ、どなたでもご参加いただけます。たくさんの方のご参加をお待ちしております。
参加ご希望の方は、sekai_gekijou@yahoo.co.jp2月27日までに、ご連絡ください。

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2009年2月 4日 (水)

JIYU-KENKYU vol.1 報告

「JIYU-KENKYU」〜世界激場プレ勉強会〜
2009年2月1日(日) @福岡市美術館
辻井 喬 『ユートピアの消滅』 集英社新書、2000年
報告:みねまいこ

JUYU-KENKYU vol.1 議事録
2月1日(日)12:30〜14:30まで、福岡市美術館、カフェなかむらで、辻井喬『ユートピアの消滅』を読み、それについて議論を行いました。参加者は、佐藤直樹、TUEさん、いちごさん、岩本さん、吉田さん、聡文三みねまいこ、計7名でした。議論後の、各自のちょっとした感想、意見など一部を報告します。

みね:YOU TUBEで辻井喬先生の講演の様子をみたけど、めちゃめちゃかっこいい!80代のはずだけど、60にしか見えない。はっきり申し上げて思いきり好みでした(一同、笑)!そんな辻井氏が信じたことのあるユートピア(=社会主義)ってのは、彼自身の中で非常に大きなトラウマになったんじゃないかと思うんです。彼だけでなく誰もが…世界中の知識人にとって、国ができた当初は、ソ連はユートピアだったんじゃないかと思うけど…。そんな大きなトラウマがあったから、ユートピア思想の持つ限界点を世界史的に整理して、それでももう一度ユートピアを望むことの重要性とか、今ならどんなユートピア思想が有効か?そのような視点でもって、辻井先生はこの本をお書きになっていたと思いました。じゃあ、いきなりで悪いんですけど、皆さんにとって、ユートピアってどのようなものですか?もしあれば、お聞かせ下さい。
吉田:自分の身のまわり、自分の住む街を変えたいとか、福岡の音楽シーンを変えたいとか、そういった身近なことから変えていくことが、自分のイメージするユートピア的なことだとは言えます。ユートピアって、日常生活を変えない限り、何も変わらないというか…。
聡:本には「民主主義はユートピアの解毒剤、ユートピアのない民主主義は魂を入れ忘れた仏」とありましたよね。ある大学で行われたアンケートで、「あなたにとってユートピアとは?」という質問があったそうです。それに対して学生は、どう答えたかと言うと、解答の選択肢が「近代的な西欧の市民社会」「沖縄の祝祭空間」「心の中にあるユートピア」「身近な家族」で、中でも、「近代的な西欧の市民社会」は人気がなかったらしいんですよ。西欧社会をユートピアと考える人はいなかった。人気があったのは、「身近な家族」だったそうです。ところで「沖縄の祝祭空間」っていう解答の選択肢は何なのでしょうかね?
TUE:それは、南洋思想とかでですかね?
佐藤:沖縄の友人が小学生だった頃、学校の帰りにどの家でごはんを食べて帰っても良かったそうです。それがユートピアっていっちゃあユートピアだったのかなとは思います、「子供は皆で育てる」という、ユートピア。
いちご:今回のJIYU-KENKYUで、辻井喬の『ユートピアの消滅』を読む前に、小説を3册読んでみました。はじめて彼の作品を読んだけど、小説は面白かった。ただ、主人公の男性が行く先々に愛人がいるの!どの小説でも共通して主人公には愛人がいるの!そこがなんでなのー?!とは思ったけど(一同、笑)、でもすごく面白かったの。
そう、小説は身近なことが書かれていたので、わりと理解し易かったのに、だけどこの『ユートピアの消滅』は、政治とか、知らないことばかりが書いてあって読んでいてとにかく難しかった!!今日の報告もわからないことがいっぱいあったし。
吉田:そう。辻井喬が読者に要求している、この本で前提されている知識ってのがないと、難しいよね…。
佐藤:それには、たぶん二つ理由があって、ひとつは、辻井自身が日本人の中でも非常に特異な感性を持っているからだと思う。西武グループの中でも経営者として彼だけでしょ、まともな人間は。他の人は….(笑)。まず、彼の中には日本人があまり持っていないような歴史的な意識がある。せいぜいわれわれの歴史意識では明治で切れててそれ以前はない、分断がある。ところが彼の中には「西暦」の時間が流れていて、大きな世界史の中でものごとを捉えられる能力があるってのがひとつ。その違いは大きい。たとえば日本には身の回りの人間関係のことしか描いていない小説が多い。そこに歴史意識なんてない。ところが、辻井は大きな時間の流れで考えることができる。だから彼の小説にもじつは、今回のテキストと同様に、歴史意識が流れているんじゃないかと思う。あと、もうひとつはね、彼自身がつねに世界史の中心にいたということ。セゾングループの経営者として各国の要人と会える立場にいた。通常われわれが絶対に経験できないようなことを経験している、そんな特異なポジションにいるっていう違いもある。つまり、二重に特異だから、読んでて難しいと感じる点はあると思う。ただし、文章は極めてうまい。こんな文章が書けたらいいねー!

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(撮影:佐藤直樹)

みね:岩本さんは福岡で自主音楽イベントをなさっておられますが、そんな大変な企画運営を何年か続けていらっしゃるというのは、ご自分の中にユートピア的なイメージがあって、それでがんばっていらっしゃるんじゃないかと思います。いかがでしょう?
岩本:そうですね。違うジャンルの音楽を並べてDJイベントをやっているのですが、異種の音楽が出会うときの面白さ、自分の知っている世界だけでなく、別の出会いがあるから、やっている。新しい出会いから、さらに世界が広がるのが面白くて。
聡::三島由紀夫が70年代に割腹自殺したことが、この本にも出ていましたよね。彼は結局なにがやりたかったんだろう?まほろばの国ってあったけど…だけど僕にはいまいち三島の思想がよくわからない。
いちご:わたしはこの本の中で、三島由紀夫だけわかった!
みね:あのね、歴史学者の阿部謹也さんから話を聞いたことがあったけど、割腹って時代劇のようにはうまく…実際は筋肉が硬直してばっさりいかないらしいよ〜それでね(嬉々として説明が続く)。
聡:みんなが嫌がってるから、そこらへんでやめなさい!!(一同爆笑)
TUE:僕は基本的に、三島はエリートだったと思います。でも普通の日本人は、彼が憂いたような「アメリカ化」は特にしていなかったんじゃないかと思うんですよね。
佐藤:僕はね、日本人はずっと近代化していないと思っています。表面的にはしていてもね、根本のところは変わっていない。外ではフェミニズムを教える人(男)が家に帰ると「あなた、ご飯にします、お風呂にします?」と妻に世話をさせるのは珍しくないし、外ではフランス哲学をやっているのに、家では御歳暮とか御中元とか日本の古い因習を大事にしていたりね。だからね、たしかに日本人はアメリカ化していない、表面的にはそうみえてもね。だけど、彼は正真正銘の近代人だった。だからこそ、非常に大きな危機感を持ったんだと思いますよ。しかし、普通の日本人は二重生活を送っていて、実は内と外を使い分けてる。
TUE:ところで、1982年くらいだったと思うのですが、日本がふっと突然明るくなった時期があって、バブルのちょっと前です。あれは一体なんだったのだろう?いまふと、思い出したのですが。三島事件や連合赤軍の70年代の呪縛が、ふっととけたような。ほんとに一時期、妙に明るかったんです。
佐藤:ポストモダンの頃だよね?その頃、ちょうどポストモダンとよばれる…本当はもっと前から始っていたんだけども。ポストモダン(近代を否定、乗り越えようとする動き)と、日本のプレモダン(前近代)が妙に相性が良かった。近代的な枠組みを越えようという意味では、両者は同じものだから。
聡:経済人としての堤清二(辻井喬)は、その頃まだ一部でしか知られていなかったような人たち、アンディー・ウォーホールとか、糸井重里らをいち早く起用してPARCOの広告を作っていたそうですもんね。それがねー、今見てもすごいんですよ。
一同:おお。 (以上、一部掲載)
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(撮影:佐藤直樹)

今回テキストの他に参考文献や資料として取り上げたもの:
ジェームズ・フレーザー『ソビエトの絵本1920-1930』リブロポート、1991年。
William Klein “PARIS+KLEIN” NewYork:Distributed Art Publishers,2003.
『美術手帖—ベルリン、ラスト・ユートピア−』 Vol.51 No.767、美術出版社、1999年。
Harald Hauswald / Lutz Rthenow“Ost-Berlin: Leben vor dem Mauerfall”, Berlin: Jaron Verlag, 2005.
『ウーメン イン パンクロック(DVD)』Columbia、COBY-91106、2005年。
『いちご白書(VHS)』ヘラルドポニー株式会社、1987(1970)年。
山本直樹『レッド』1巻、講談社、2007年。

次回「JIYU-KENKYU」予告
2009年3月1日(日)12:00〜
@福岡市美術館 カフェなかむら
テキスト辻井喬『憲法に生かす思想』、新日本出版社、2008年。
報告者:聡文三(予定)
本を事前に読んでいただければ、どなたでもご参加いただけます。たくさんの方のご参加をお待ちしております。
参加ご希望の方は、sekai_gekijou@yahoo.co.jp2月27日までに、ご連絡ください。

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